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Channel: わ! かった陶芸 (明窓窯)
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焼き物の着物(色彩)29 奈良三彩と緑釉 4

4) 正倉院以外の三彩・緑釉陶器。   ? 奈良、平安時代の墳墓より出土。前回の続きです。    ?) 墳墓からの三彩小壷出土。      墳墓から出土する三彩小壷は、前記蔵骨器に使われている形と、ほとんど同じで、色彩も      同様に成っています。 但しその大きさは高さが4〜5cm程度で、胴径も5〜7cmと小型です...

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焼き物の着物(色彩)30 奈良三彩と緑釉 5

5) 彩釉陶器の生産と終焉。   多彩釉陶器は、奈良時代〜平安時代の初期までの短期間のみに制作されていた焼き物です。   本場中国の唐三彩も、唐王朝の衰退と伴に、急速に姿を消してゆきます。   唐王朝が弱体化したのは、755年の安史の乱(安禄山と史思明の異民族の反乱)等が原因   でした。  ? 彩釉陶器は、畿内の限られた地域で、限られた期間に生産され、全国に運ばれた物と思われ...

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焼き物の着物(色彩)31 灰釉陶器(白瓷) 1

1) 灰釉(かいゆう)陶器とは。   植物の灰を原料とした釉(薬)を素地に掛けて焼成した焼き物です。   現在でも多くの陶芸産地や陶芸家達、特に民藝陶器は、灰を原料にした釉を使っていますので、   広い意味では、現在の釉も灰釉陶器と言えますが、ここでは狭い意味で、平安時代の9〜11世紀   の焼き物を指す事にします。   ?...

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焼き物の着物(色彩)32 灰釉陶器(白瓷)2

 草木灰を原料にする釉は、東洋(中国、朝鮮、日本など)独特の技法と言われています。  灰の種類によって、色々な表情の釉になりますので、現在でも独自の釉を作り続けている陶芸家も  多い様です。 2) 我が国での最初の灰釉陶器が作られてた場所。   ? 愛知県猿投で焼成された理由。   ? 猿投窯の地層。(以下前回の続きです。)   ? 灰釉陶器の猿投古窯群について。    ?)...

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焼き物の着物(色彩)33 灰釉陶器(白瓷)3

3) 白瓷の種類(器形)について。   ? 食器類。 椀、皿、盤、鉢、坏、高坏(たかつき)、盌(まり)、高盤などがあります。     調理用具としては、擂鉢(すりばち)等の各種の鉢類があります。    a) 椀類は腰部が丸く湾曲し、わずかに端反り輪高台で、内面に陰刻花文を有する物も多いです    b) 皿類には、輪高台を持つ物、腰に稜(出っ張り)を持つ物、内又は外面に段差を有する物...

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焼き物の着物(色彩)34 灰釉陶器(白瓷)4

4) 白瓷の制作技法。    白瓷の制作には、大きく二つの時期に分別されます。一つは10世紀初め頃までの時期です。    この頃は、同じ窯で須恵器と白瓷が一緒に焼かれていました。(共用窯の時代)    他の一つは、10世紀初頭頃より、瓷器専用の窯で焼かれていた時代です。    奈良時代後半になると、須恵窯で灰釉を施した仏器が焼かれる様になります。...

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焼き物の着物(色彩)35 灰釉陶器(白瓷)5

5)  白瓷(しらし)の文様と文字。   平安中期から後期にかけて、東海地方の各地で各種の白瓷が焼かれています。   その中に、箆(へら)描きの技法による陰刻文や、貼付文による装飾を施された各種の器が   存在します。   ? 主な文様。     宝相華文、飛雲文、飛禽類、蝶文、秋草文などがあります。初期の物ほど写実的で丁寧に...

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焼き物の着物(色彩)36 灰釉陶器(白瓷)6

7) 白瓷(しらし)の量産化と地方への拡散。   ? 10世紀に入ると、猿投窯や尾北窯などの尾張での灰釉陶器である白瓷の生産は、技術     革新と伴に生産が一気に拡大します。白瓷の需要範囲も、東海西部や畿内に限られていた     ものが、東山道を通じて、中部山岳地帯や多賀城廃寺などの東北南部にまで広がります。...

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焼き物の着物(色彩)37 中国宋の焼き物

894年菅原道真の進言により、遣唐使が停止されて以来、中国との国交が途絶えていましたが、 平安中期頃から平清盛の父忠盛によって日宋貿易(11〜13世紀)が始められ、清盛の頃には 盛んになります。 ・ 日本からは金、硫黄、刀剣などが輸出され、宋からは宋銭、香料、陶磁器などが輸入されました。   注: 平家が天下を取ったのも、日宋貿易によって、莫大な富を得たからとも言われています。...

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焼き物の着物(色彩)38 高麗青磁

宋の青磁類の輸入と同じ頃、朝鮮半島より高麗青磁(こうらいせいじ)がもたらされます。 高麗時代(918〜1391)を通じて日麗貿易が行われます。但し、前回お話した日宋貿易よりは、 規模が小さかった様です。 又、宋、高麗、我が国の三ヵ国間でも民間レベルの貿易が展開されて いました。 1) 高麗の陶磁器。  ? 朝鮮の三国時代。    紀元前57年 新羅建国。  668〜935年 統一新羅。...

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焼き物の着物(色彩)39 中世の常滑(古常滑)1

愛知県常滑市は伊勢湾に面した知多半島の中央に位置し、現在でも焼き物の著名な産地です。 しかし、中世の常滑焼(古常滑とも言います)の窯は、知多半島先端の南知多町まで全体に存在 していた様で、その数も3,000基以上と言われています。それらを総称して「知多古窯址群」 と呼ばれています。 尚、中世の常滑が終末を迎えるのは、室町時代末(16世紀中葉)頃で大量生産の為に、窯場を...

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焼き物の着物(色彩)40 中世の常滑(古常滑)2

 ? 古常滑焼の特徴   ?) 古常滑焼の技法。    a) 成形方法。各時代を通して、紐造り成形、輪積成形、轆轤成形の三種類があります。    イ) 紐造りは大甕などの、大物成形には必要不可欠な技法です。      太さ5cm程度の粘土紐を肩に掛け、成形台を回りながら粘土を螺旋状に積み上げる      方法で、作品の内側に螺旋状の痕跡が見られる大甕もあります。...

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焼き物の着物(色彩)41 中世の渥美窯

前回取り上げた古常滑窯が栄えていた頃、知多半島の三河湾を挟んだ対岸の渥美半島にも、多くの 古窯が存在し、国宝や重要文化財となる焼き物などを造り出しています。 但し、常滑が現在でも焼き物を造り続けているのに対し、渥美古窯は忘れ去られ近年(昭和39年) 再発見されます。2013年には「渥美窯 〜国宝を生んだその美と技」展が田原市制10周年記念 特別展として開催されました。 1)...

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焼き物の着物(色彩)42 中世の信楽焼 1

信楽焼きや中世の信楽焼きは、近江(おうみ)国甲賀郡信楽郷(現在の滋賀県甲賀郡信楽町の山麓) 一円で制作された焼き物を言います。信楽は位置的にも京都や大津伊賀上野、亀山への道もあり、 湖東地方から、日野、水口を通り奈良へ通じる主要な交通路が存在していました。 時代的には須恵器の衰退する9世紀末から10世紀に掛けてから、鎌倉時代までの空白期間があり、...

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焼き物の着物(色彩)43 中世の信楽焼 2

古い信楽焼きの魅力は、素朴な造形と荒々しい器肌に、酸化焔により赤い色(緋色)や白、黒などの 焦げと、照りのある事です。降灰による灰の流れ落ちで緑色を呈し、更に小石(長石粒)混じりの 肌の触感が、中世信楽独自の無釉と相まって、千差万別の器肌を作る事にあります。 以前は蹲る(うずくまる)と呼ばれる、小さな種壷に人気が集中していましたが、昨今では信楽の 大壷の人気も高まっています。 2)...

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焼き物の着物(色彩)44 中世の瀬戸焼 1

従来、中世の焼き物は、六古窯(瀬戸、常滑、越前、信楽、丹波、備前)を中心に考察されていま したが、同時代に全国に二十四箇所の窯場が確認され、美濃や伊賀、加賀などでは六古窯同様に 現在でも生産が続いている事からも、六古窯に囚われる必要性も少なくなりました。 今日では、中世の焼き物は、土師器(はじき)系、須恵器(すえき)系、瓷器(しき)系の三系列に 分けて考える様に成ります。...

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焼き物の着物(色彩)45 中世の瀬戸焼 2

2) 古瀬戸の製陶技法。  ? 古瀬戸が施釉陶器として、中世の一時期脚光を浴びる最も大きな理由は、耐火度の高い   良質の土が間近で入手出来た為と言われています。即ち、瀬戸周辺の東山地区より東側に移動   するに従い、白色の良質な粘土が豊富に存在し、水簸(すいひ)せずに単味で用いていました。   肌理(きめ)の細かい土は小物用に、目の粗い土で大型の作品を作っています。  ?...

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焼き物の着物(色彩)46 中世の美濃窯 1

中世の瀬戸と並び、施釉陶器の生産地である美濃(東濃)では、桃山時代に入ると、志野、瀬戸黒、 黄瀬戸、織部など優れた茶道具を造りだします。それまで、中国や朝鮮の模倣であった焼き物が 初めて、日本の焼き物として独立します。 1) 美濃窯の歴史。  ? 古墳時代以降に須恵器の生産地として栄えた現在の多治見、土岐、瑞浪、笠原、可児などを...

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焼き物の着物(色彩)47 中世の美濃窯 2(古志野1)

3) 古志野に付いて。   志野は黄瀬戸や瀬戸黒などと同様に、桃山時代以降美濃で焼かれた白い焼き物です。  ? 白天目茶碗。   ?) 志野の名前が最初に現れるのは、1553年(天正22年)「天王寺屋会記」別名「津田宗及    茶屋日記」によります。この茶会は武野紹鷗(たけのじょうおう、号は大黒屋)が京都の    茶室に宗及らを招いて開かれたものです。...

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焼き物の着物(色彩)48 中世の美濃窯 3(古志野2)

4) 桃山時代とは、織田信長が、足利15代将軍義明を奉じて、京都に入ってから、関が原で家康が  勝利を収める、およそ30年間(1568〜1600年)を言います。  但し、陶磁器の歴史からは1622年までの約50年間を言います。1622年銘の織部燭台の陶片が  発掘されている為で、この間に作られた焼き物を、桃山時代の美濃の茶陶といいます。...

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