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Channel: わ! かった陶芸 (明窓窯)
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焼き物の着物(色彩)44 中世の瀬戸焼 1

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従来、中世の焼き物は、六古窯(瀬戸、常滑、越前、信楽、丹波、備前)を中心に考察されていま

したが、同時代に全国に二十四箇所の窯場が確認され、美濃や伊賀、加賀などでは六古窯同様に

現在でも生産が続いている事からも、六古窯に囚われる必要性も少なくなりました。

今日では、中世の焼き物は、土師器(はじき)系、須恵器(すえき)系、瓷器(しき)系の三系列に

分けて考える様に成ります。

土師器系は、祭礼用と煮沸用の日常食器として使われ、須恵器系は、平安時代の須恵器の伝統を引

き継ぎ、無釉の焼締陶の信楽、丹波、備前などの焼き物や、珠洲や亀山などの産地があります。

白瓷(しらし)の流れを汲む、施釉陶器は、瀬戸、美濃のみに引き継がれます。

1)古瀬戸焼き。

  愛知県瀬戸市地域では、猿投窯の白瓷の伝統の上に南宋の製陶技術を導入し、当時唯一の

  施釉陶器の生産地であり、中世窯業の中心地として栄えます。16世紀に成ると美濃の地でも

  施釉の焼き物が作られる様になります。以後数百年に渡り現在も、瀬戸と美濃は日本の窯業の

  中心として栄えています。

 ? 古瀬戸の発生。

  (鎌倉から室町時代中期まで 12世紀〜15世紀頃までに焼かれた瀬戸焼きを、古瀬戸と

   呼びます。)

   古瀬戸の発祥には、陶祖加藤藤四郎左衛門景正の伝説が伝わり、1242年に瀬戸で良質の

   粘土を発見し、窯を興したのが最初と言われていますが、確実な証拠はありません。

   現在では二通りの説があります。

  ?) 再興灰釉(かいゆ)陶器説: 12世紀に白瓷の生産が衰退した後、鎌倉時代中期に

    瀬戸の南部丘陵地帯で、四耳壷(しじこ)や瓶子などが、大量に施釉陶器として作られる

    様になります。この事から、古瀬戸の発祥は鎌倉中期頃と推測する説です。

    四耳壷は、鎌倉時代に中国の宋で作られた物を模倣して作られた物です。主な用途は蔵骨壷

    として使われています。

  ?) 猿投窯東山地区の東山窯説: 平安末に猿投窯が衰退し常滑や渥美に生産地が移動したが

  一部は猿投に留まり、より高級な施釉陶器として生き残ったと言う説です。

 ? 古瀬戸の製品。

   中世で施釉陶器を焼いた古瀬戸窯は、二百基余り存在していたと言われています。

  ?) 施釉陶器は社寺、貴族、武士階級、富裕農民層らが使用した日常容器類ですが、その

    種類は、食器用(碗、皿、鉢、水注など)、調理器具(卸皿、擂鉢、片口、釜、土瓶)、

    貯蔵容器(壷、瓶、甕類)、日常用具(薬壷、水滴、合子、燭台、各種鉢類)、仏具

    (瓶子、花瓶、灯明皿、香炉、仏塔)、茶陶(天目茶碗、茶壷)などがありますが、

    ほとんどが、中国陶器の模倣品として作られていた様です。

  ?) 時代によって作られた施釉陶器の器形が変化しています。

   a) 平安末〜鎌倉初期:四耳壷、仏具などが多いです。

   b) 鎌倉前期〜南北朝:高級食器類が焼かれ、更に火葬蔵骨器(灰釉四耳壷)や花瓶や香炉など

    社寺を対象とした祭祀用具が顕著です。

   c) 室町時代: 天目茶碗、茶入など茶道具類が多いです。

  ?) 中世の焼き物は、農業と深く結び付いています。

   a)小壷は籾殻(もみがら)の貯蔵用に使われ、種壷と呼ばれています。信楽の蹲る(うずく

    まる )は著名な種壷です。

   b) 種を播く際に、種を水に浸し発芽を促進させる容器として、壷が使われています。

    播種前に籾殻を水に浸す事で、稲の生育を大きする働きがありました。

   c) 甕も水蓄える他、酒を発酵させたり、貯蔵するものとして利用されています。

    更に、肥甕(こえかめ)として使われます。即ち鎌倉時代より糞尿が肥料として利用される

    様になると、糞尿を発酵させる為に、屋敷の一部に埋めた大甕が使われています。

    尚、糞尿の利用は60年程前までは一般に見られる光景でした。

以下次回に続きます。

   

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