古い信楽焼きの魅力は、素朴な造形と荒々しい器肌に、酸化焔により赤い色(緋色)や白、黒などの
焦げと、照りのある事です。降灰による灰の流れ落ちで緑色を呈し、更に小石(長石粒)混じりの
肌の触感が、中世信楽独自の無釉と相まって、千差万別の器肌を作る事にあります。
以前は蹲る(うずくまる)と呼ばれる、小さな種壷に人気が集中していましたが、昨今では信楽の
大壷の人気も高まっています。
2) 中世の信楽古窯の制作品に付いて。(前回の続きです)
? 窯は「双胴式窖窯」と呼ばれる信楽独特の窯が使われています。
中世の信楽古窯址は、中井出窯跡(信楽町)や五位ノ木窯跡(神山奥新田)、窯ヶ谷窯跡、
南松尾窯跡、オスエノジラ古窯跡(言い伝えの場所)など数箇所存在し、各々数基の窯を有し、
その数は50基以上有ったとされています。これらの大窯は、共同窯として使われた可能性が
あります。
?)「双胴式窖窯」は中井出窯跡から発掘された窯で、燃焼室が一つに焼成室が左右に二列に
分かれ、その奥の煙出し口が一つになった構造になっています。
?)全長16.3m、燃焼室長さ10m、最大幅4m、底面傾斜30度の地下式又は半地下式の大窯です。
燃焼室中央に大きな岩に粘土を貼り付けた厚ささ60cmの隔壁を設けています。
?) この様な構造になったのは、脆弱な基盤の上に幅の広い大窯を築く為と思われています。
3)紀年銘作品について。
壷や甕に製作されたと思われる年号が記された作品があります。これらの焼き物の様式から、
他の焼き物の制作年代が類推される様に成りました。
? 現在知られている紀年銘のある主な作品は以下の通りです。
?) 応安二年(1369年)銘 甕 (伝甲賀郡出土)
?) 応永三年(1396年)銘:「応永三年秋九月 信楽権右衛門作」 香炉(伊賀町長久寺蔵)
?) 応永二十八年(1412年)銘 壷
?) 長禄二年(1458年)墨書銘: 擂鉢外側「長禄二年五月十四日 諸行無常 是生滅法」、
擂鉢内側「南無阿弥陀仏」、その他 甕 (信楽長野出土)
?) 永禄元年(1558年)銘 四耳壷
その他、多数出土しています。
4) 茶陶信楽について。
室町時代後期頃までは、他の窯場と同様に壷、甕、擂鉢などを生産していましたが、その後侘茶の
世界で、焼締陶が注目を浴びる様に成ります。更に、都会的な文化が導入され、作風も大きく
変化して行きます。
? 侘(わび)茶の世界で求められた物は、味わい深い質量感と焼締による素朴な侘びた趣でした
侘茶の世界に最初に登場するのは、備前焼と信楽焼きです。
? 最初に信楽焼に着目したのは、村田珠光(1423〜1502年)と言われています。
信楽の焼き物が実際に使われた事を示す最初の記録は、1542年(天文二十三年)の「松屋
久政茶会記」で、千利休の師でもある北向道陳(どうちん)が「信楽水指」を用いた事が
記されています。その後、武野紹鴎(じょうおう、1502〜1555年)所持の「鬼桶水指」、
壷水指「シメ切」等が使用されます。
注:「鬼桶水指」:15世紀 高さ20cm、千宗旦の箱書付
桶形の物を鬼桶と呼んでいます。
壷水指「シメ切」:15世紀 高さ18.1cm 藤田美術館蔵。
これらは、最初から水指として作られたものではなく、日用雑器として使用されていた
物を水指に転用した物(見立て物)と言われています。
? 信楽水指、茶碗(1549年)、建水(1558年)、花生(はないけ、1578年)、茶入(1587年)が
茶会記録に登場します。天正年間(1570〜1591年)に現在伝世されている茶陶の種類は出揃い
ます。
?) 旅枕型花生: 筒花生で口がややつぼまっている形です。
矢筈口(やはづくち)水指: 口辺に広い突出した帯を巡らせ、胴部や胴裾部に強い
箆目(箆削り)の入った物が多いです。蓋は共蓋(同じ土で作った物)と成っています。
?)「紹鴎信楽」、「利休信楽」と呼ばれる物は、紹鴎や利休が所持していた信楽の焼き物を
言いますが、次第に「紹鴎好み」「利休好み」の意味に変化して行き、需要者の好みが
窯場の生産に影響を与える事に成ります。その後も、「新兵衛信楽」「宗旦信楽」
「宗石信楽」「遠州信楽」「仁清信楽」「空中信楽」などと呼ばれる作品が次々に生まれ
ます。
a)「利休信楽」(宗易信楽とも言います):一重口水指が著名です。16世紀 高さ14.7cm
正面にビードロ釉が流れています。又、「千家名物三水指」として、「楊貴妃」「風折」
「磯シジミ」或いは、「三夕」「腰折」「柴庵」の計六口の信楽水指が著名です。
これらは、茶の道具として意識的に制作されています。即ち、還元焼成で渋い味わいに
焼き上げ、灰釉を流し掛け釉流れを生じさせています。
b)「新兵衛信楽」慶長(1596年〜1615年)の頃、信楽で注目されたのは、京都の茶人の有来
(うらい)新兵衛によって作られた信楽があります。瀬戸物を扱う大店でもあり、彼の
発注する美濃や信楽焼きの茶道具(水指、筒花生、茶入など)には「丁」の窯印があります
以下次回に続きます。
焦げと、照りのある事です。降灰による灰の流れ落ちで緑色を呈し、更に小石(長石粒)混じりの
肌の触感が、中世信楽独自の無釉と相まって、千差万別の器肌を作る事にあります。
以前は蹲る(うずくまる)と呼ばれる、小さな種壷に人気が集中していましたが、昨今では信楽の
大壷の人気も高まっています。
2) 中世の信楽古窯の制作品に付いて。(前回の続きです)
? 窯は「双胴式窖窯」と呼ばれる信楽独特の窯が使われています。
中世の信楽古窯址は、中井出窯跡(信楽町)や五位ノ木窯跡(神山奥新田)、窯ヶ谷窯跡、
南松尾窯跡、オスエノジラ古窯跡(言い伝えの場所)など数箇所存在し、各々数基の窯を有し、
その数は50基以上有ったとされています。これらの大窯は、共同窯として使われた可能性が
あります。
?)「双胴式窖窯」は中井出窯跡から発掘された窯で、燃焼室が一つに焼成室が左右に二列に
分かれ、その奥の煙出し口が一つになった構造になっています。
?)全長16.3m、燃焼室長さ10m、最大幅4m、底面傾斜30度の地下式又は半地下式の大窯です。
燃焼室中央に大きな岩に粘土を貼り付けた厚ささ60cmの隔壁を設けています。
?) この様な構造になったのは、脆弱な基盤の上に幅の広い大窯を築く為と思われています。
3)紀年銘作品について。
壷や甕に製作されたと思われる年号が記された作品があります。これらの焼き物の様式から、
他の焼き物の制作年代が類推される様に成りました。
? 現在知られている紀年銘のある主な作品は以下の通りです。
?) 応安二年(1369年)銘 甕 (伝甲賀郡出土)
?) 応永三年(1396年)銘:「応永三年秋九月 信楽権右衛門作」 香炉(伊賀町長久寺蔵)
?) 応永二十八年(1412年)銘 壷
?) 長禄二年(1458年)墨書銘: 擂鉢外側「長禄二年五月十四日 諸行無常 是生滅法」、
擂鉢内側「南無阿弥陀仏」、その他 甕 (信楽長野出土)
?) 永禄元年(1558年)銘 四耳壷
その他、多数出土しています。
4) 茶陶信楽について。
室町時代後期頃までは、他の窯場と同様に壷、甕、擂鉢などを生産していましたが、その後侘茶の
世界で、焼締陶が注目を浴びる様に成ります。更に、都会的な文化が導入され、作風も大きく
変化して行きます。
? 侘(わび)茶の世界で求められた物は、味わい深い質量感と焼締による素朴な侘びた趣でした
侘茶の世界に最初に登場するのは、備前焼と信楽焼きです。
? 最初に信楽焼に着目したのは、村田珠光(1423〜1502年)と言われています。
信楽の焼き物が実際に使われた事を示す最初の記録は、1542年(天文二十三年)の「松屋
久政茶会記」で、千利休の師でもある北向道陳(どうちん)が「信楽水指」を用いた事が
記されています。その後、武野紹鴎(じょうおう、1502〜1555年)所持の「鬼桶水指」、
壷水指「シメ切」等が使用されます。
注:「鬼桶水指」:15世紀 高さ20cm、千宗旦の箱書付
桶形の物を鬼桶と呼んでいます。
壷水指「シメ切」:15世紀 高さ18.1cm 藤田美術館蔵。
これらは、最初から水指として作られたものではなく、日用雑器として使用されていた
物を水指に転用した物(見立て物)と言われています。
? 信楽水指、茶碗(1549年)、建水(1558年)、花生(はないけ、1578年)、茶入(1587年)が
茶会記録に登場します。天正年間(1570〜1591年)に現在伝世されている茶陶の種類は出揃い
ます。
?) 旅枕型花生: 筒花生で口がややつぼまっている形です。
矢筈口(やはづくち)水指: 口辺に広い突出した帯を巡らせ、胴部や胴裾部に強い
箆目(箆削り)の入った物が多いです。蓋は共蓋(同じ土で作った物)と成っています。
?)「紹鴎信楽」、「利休信楽」と呼ばれる物は、紹鴎や利休が所持していた信楽の焼き物を
言いますが、次第に「紹鴎好み」「利休好み」の意味に変化して行き、需要者の好みが
窯場の生産に影響を与える事に成ります。その後も、「新兵衛信楽」「宗旦信楽」
「宗石信楽」「遠州信楽」「仁清信楽」「空中信楽」などと呼ばれる作品が次々に生まれ
ます。
a)「利休信楽」(宗易信楽とも言います):一重口水指が著名です。16世紀 高さ14.7cm
正面にビードロ釉が流れています。又、「千家名物三水指」として、「楊貴妃」「風折」
「磯シジミ」或いは、「三夕」「腰折」「柴庵」の計六口の信楽水指が著名です。
これらは、茶の道具として意識的に制作されています。即ち、還元焼成で渋い味わいに
焼き上げ、灰釉を流し掛け釉流れを生じさせています。
b)「新兵衛信楽」慶長(1596年〜1615年)の頃、信楽で注目されたのは、京都の茶人の有来
(うらい)新兵衛によって作られた信楽があります。瀬戸物を扱う大店でもあり、彼の
発注する美濃や信楽焼きの茶道具(水指、筒花生、茶入など)には「丁」の窯印があります
以下次回に続きます。