894年菅原道真の進言により、遣唐使が停止されて以来、中国との国交が途絶えていましたが、
平安中期頃から平清盛の父忠盛によって日宋貿易(11〜13世紀)が始められ、清盛の頃には
盛んになります。
・ 日本からは金、硫黄、刀剣などが輸出され、宋からは宋銭、香料、陶磁器などが輸入されました。
注: 平家が天下を取ったのも、日宋貿易によって、莫大な富を得たからとも言われています。
尚、宋は五代後の960〜1279年の王朝です。
注: 日宋間には、正式な国交はなかったのでは無いかと言われています。
それ故、貿易も民間レベルで行われ、平氏政権や鎌倉幕府も積極的に推進した様です。
清盛は瀬戸内航路の整備と、大輪田泊(兵庫港)や音戸の瀬戸の整備、更に海上交通を守る厳島
神社の建立を行い、海賊退治も行っています。日本の港は、北九州の博多港や、北陸の敦賀が
使われました。貿易品は色々ありますが、その中で、陶磁器は、それ迄の我が国の陶器より数段優れ
都の宮殿や貴族、寺院の人々の間で珍重され、我が国の陶器生産も、辺境に押し流されてしまい
ます。この事情は前回までにお話した事です。
1) 中国でも、宋代は陶磁器生産が急速に発達した時代で、各地で陶器や磁器など多彩な焼き物が
発生します。 北中国(北宋)では、碗、盤、壺、瓶、水注、枕など日常の生活雑器を焼いた磁州窯
系の陶器や耀州窯の青磁、定窯の白磁などがある。南宋では、景徳鎮窯、龍泉寺窯があります。
陶磁器の基礎となっている現代陶芸でも、殆どの技巧や技術は、宋時代に開発され普及し定着
したものであす。英語で「チャイナ」とは中国名であり、陶磁器をも意味します。
? 定窯: 白磁 北宋時代の中国を代表する白磁の生産地です。
白い美しい肌に、わずかに黄色みを帯びた釉で、宋時代の白磁の釉の代表です。
? 景徳鎮窯: 白磁、青白磁。元、明、清を通じて宮廷の御器を焼造し、中国窯業の中心地です。
青白磁は薪を燃料とする為、白磁とは言え青みを帯びた、「青白磁」となります。青白磁は中国
では「影青(インチン)」と呼ばれています。
? 龍泉窯: 青磁。 南宋代後期の青磁の代表です、
粉青色(水色)や梅子青色(緑色)の優美な青磁を焼き、日本にも数多くの作品が伝わっています
龍泉青磁、砧(きぬた)青磁(粉彩青磁)などが著名です。
? 磁州窯: 鉄絵。華北一帯の陶器の民窯を「磁州窯」といいます。
独特の加飾陶器が製作され、白化粧を施し、透明釉を掛けたものが基本です。
? 建窯(けんよう): 天目釉(天目茶碗に掛けられた釉で、黒天目、禾目天目、油滴天目、
曜変天目などがあります。)
? 吉州窯: 玳玻(たいひ)天目釉
? 鈞窯(きんよう): 月白釉薬、澱青釉。、鈞窯とは、特定の窯の製品ではなく、鈞窯系という
作風として理解されています。
? 耀州(ようしゅう)窯: 青磁。
印花文(型押し文様:牡丹、菊魚、孔雀などの動物、天女、唐子など多種多様)
刻花文(彫り文様:牡丹、蓮花唐草文など)
? その他:官窯 汝窯(じょうよう。北宋)、哥窯(かよう)
(定窯、鈞窯を含めて、宋の五大名窯と呼ばれています。)
◎ 宋代の名品は、歴代皇帝の愛蔵品として、北京の故宮に秘蔵されています。
2) 日宋貿易の我が国への影響。
? 船積された膨大な陶磁器類は、博多などの港に運ばれ、一時保管された後、京へと送られ
ます。博多周辺や農村集落などの発掘調査で、宋の陶磁器や銅銭が多量に出土します。
? 宋の焼き物は、安価に大量生産され品質も良い為、我が国の灰釉では太刀打ちできなくなり
瀬戸にも色々な変化を与えます。この頃から、瀬戸の焼物は茶陶(茶の湯に使う陶器)が
主流なります。尚、我が国でも、一時期は宋の焼き物の模倣品も作られましたが、品質も悪く
普及しませんでした。
? 我が国で磁器の生産が始まるのは、桃山時代以降に成ります。
以下次回に続きます。