宋の青磁類の輸入と同じ頃、朝鮮半島より高麗青磁(こうらいせいじ)がもたらされます。
高麗時代(918〜1391)を通じて日麗貿易が行われます。但し、前回お話した日宋貿易よりは、
規模が小さかった様です。 又、宋、高麗、我が国の三ヵ国間でも民間レベルの貿易が展開されて
いました。
1) 高麗の陶磁器。
? 朝鮮の三国時代。
紀元前57年 新羅建国。 668〜935年 統一新羅。
紀元前37年 高句麗建国。 668年 高句麗滅亡。
紀元前18年 百済建国。 660年 百済滅亡。
?) 三国時代に中国の六朝より、青磁と黒釉(鉄釉)が流入し、更に9〜10世紀前半には、
唐、五代の陶磁器とその技術が伝わり、初歩的な緑青磁が造られる様に成ります。
?) 緑青磁の窯址として、京畿道仁川の景西洞(キョンソドン)窯が有名です。
窯は窖窯(あながま)で、内部は隔壁(仕切り)の無い洞窯で、底は階段式でない傾斜面です。
断面が三角形の枕を使って窯詰めしています。
尚、磁器を焼くには1300℃、又はそれに近い温度が必要です。当然、高温を得る為の、
窯の改良がなされています。
?) 緑青磁の素地には混ざり物が多く、釉面も滑らかさに欠けています。
器の種類は、唐風の広口長頸瓶、広口長頸裳形瓶、鉢などが多いです。
?) 10〜11世紀初め頃には、青磁と入れ替わりに素地と釉が洗練された白磁が焼かれる様に
なります。その後、途絶えていた青磁が本格的に全羅道康津郡龍雲里や桂栗里一帯で
集中的に生産されます。
?) 博多出土の輸入陶磁器の95%は中国産で、高麗陶磁は交易品としての評価が低かった
様で、一部の階級の人々にのみ使用されていました。
? 高麗青磁。 高麗朝(918〜1392年)
高麗青磁の中で代表的なものが象嵌青磁でがす。
?) 高麗の青磁は、青灰色の胎土に鉄分を含んだ釉を掛け物です。
中国宋で大量に生産された、龍泉窯青磁などと比べると、高麗青磁は釉が薄く掛けられて
います。 即ち、中国の青磁が釉を3〜4度掛け厚い釉層を形成し、青く発色するのに対し、
高麗青磁は1〜2度掛けで透明感があり、釉層は薄いです。
それ故、胎土と釉の色が重なり、「翡翠(ヒスイ)色」に発色しています。
?) 11世紀後半〜12世紀前半に、高麗の青磁と陶器が大宰府と博多に、集中して出土します
青磁の大半は無文で施文方法は型押し、蓮弁削り出しといった中国風です。
11世紀後半では全羅南道康津窯産の精製品が少数出土しますが、12世紀前半に入ると
精製品に替わり、焼成不良な不透明な釉となり粗製品が急増します。
?) 高麗青磁で代表的なものが象嵌(ぞうがん)青磁です。
a) 象嵌技法は12世紀後半以降本格化します。博多では宋磁の出土量がやや沈静化し、
高麗青磁は急減しますが、逆に京都や鎌倉で高級青磁の出土が増加しています。
北部九州で再び増加するのは14世紀後半に入ってからとの事です。
象嵌は金属工芸の技法を、陶磁器に応用した高麗独自のものです。
b) 象嵌は生乾きの器面に彫刻刀で陰刻文様を彫り、そこに白い土や赤い鉄分を含んだ
土(赤土)などを埋め込み、釉を掛け焼いた物です。赤土は黒く発色します。
透明感の強い釉を通し、文様が白、黒に発色し、見栄えがす青磁です。
c) 作品の種類は、花瓶(カヘイ)、梅瓶(メイピン)、扁壷、鉢、水注(注子)、香炉、枕、瓦などが
あります。
d) 文様は雲鶴(うんかく)文、雲鶴菊牡丹文、雲鶴菊花文、葡萄童子文、竹水禽文、唐草文、
蓮花文、印花文など動植物をテーマにした作品が多いです。
これら輸入品は、我が国の焼き物にも大きな影響を与える事になります。
以下次回に続きます。