草木灰を原料にする釉は、東洋(中国、朝鮮、日本など)独特の技法と言われています。
灰の種類によって、色々な表情の釉になりますので、現在でも独自の釉を作り続けている陶芸家も
多い様です。
2) 我が国での最初の灰釉陶器が作られてた場所。
? 愛知県猿投で焼成された理由。
? 猿投窯の地層。(以下前回の続きです。)
? 灰釉陶器の猿投古窯群について。
?) 昭和20年代半過ぎまでは、瀬戸の焼き物について「謎」がありました。
古墳時代から土師器、須恵器と続いていた焼き物が、鎌倉時代の「古瀬戸」と呼ばれる施釉
陶器がいきなり出現し、平安時代の焼き物が欠落して、明確な説明がありませんでした。
?) 昭和29年に一人の民間人が、愛知県西加茂郡三好町の黒笹(くろざさ)部落の畑より
轆轤挽きされた薄手で灰釉が掛かった壷の欠片(かけら)を発見します。
その付近の窯跡を探し求め、数箇所の古窯跡を見付けます。
?) そこからは、壷、甕、皿などの破損した焼き物を見付けます。自然釉の掛かった物もあり
ました。 当時はこの地域での窯跡は知られていませんでした。
?) 彼は、東京大学や名古屋大学の考古学教室の教授などの専門家に、古窯の発掘を任せる
事にします。その結果数百箇所の窯跡が発掘されます。出土破片も数百万点に上り、
「猿投山西南麓古窯群」と命名された一大古窯跡群が発見されます。
?) この古窯群は、古墳時代〜平安時代までの須恵器や瓷器(ジキ、シキ)窯が400基以上、
白瓷系の陶器窯が800基以上の大古窯跡で、大阪の陶邑(すえむら)と並ぶ、わが国の二大
窯業の一つである事が判明します。
? 瀬戸の焼き物は、大きく分けると、猿投(さなげ)窯と尾北(びほく)窯に二分できます。
?) 猿投窯は尾張南部地域の大窯業産地で、5世紀末〜14世紀の約900年近い歴史を
持ちます。地理的には東山地区を中心に、東、東南、南の三方向に展開して行きます。
a) 東山地区: 名古屋市東部の南北約5km、東西約3.5kmの範囲内に120基以上の
古窯跡が発掘されます。古墳時代の窯跡は、ほとんどこの地域から出土します。その他
奈良時代までの須恵器窯、平安時代後期の瓷器窯、平安末以降の白瓷系陶器窯跡が
存在していました。
b) 岩崎(いわさかき)地区: 東山地区の東方で、東西7km、南北5kmの範囲に分布し
愛知県長久手町、日進町、名古屋市の一部が含まれます。須恵器窯、須恵器・瓷器兼用窯
瓷器窯など100箇所程度の窯跡存在しています。
c) 折戸(おりと)地区: 猿投窯中で一番東に位置します。
d) その他に、鳴海(なるみ)地区、瀬戸地区などから、各種の窯跡が発見されています。
?) 尾北窯: 尾張北部にある窯業地で、5世紀後半〜鎌倉時代の白瓷系陶器までを生産して
います。窯跡の数数百との事です。
以上の他に、東海地方全域では古墳時代〜平安末までに1000基を優に超える窯が存在して
いました。ここで作られた大量の焼き物は、畿内は勿論、東日本に広く流通する事になります。
? 窯の構造は窖窯(あながま)です。
?) 標高50〜150m程度の低い丘の斜面に築かれています。最下段に焚き口を設け、燃焼部
と細長い焼成室との境に、障壁が取り付けてあります。燃成室の突き当たりに奥壁を付け、
更に煙道と煙出口が設けられた構造で、煙突はありません。 焼成室には、移動可能な
分焔棒が備わります。
?) 窯道具も多く出土します。
傾斜のある底を持つ窖窯では、作品を安定に置く為に各種の窯道具が使われています。
a) 焼台(しょうだい): 主に古墳時代に使われた裾が開いた円筒形の物です。
b) 粘土棒(つく): 瓶や壷類を支える道具で、奈良時代末からは使われます。
c) 輪棒(わつじく): コップ状の物です。平安時代に成ると登場する窯道具です。
d) 重ね焼きによる融着を防ぐ窯道具。
三叉、四叉、十字形の「とちん」や「より輪」、灰被りを防ぐ「さや」等種類も豊富です。
上記道具は、耐火度の高い粘土で作られています。
3) 白瓷の種類(器形)について。
以下次回に続きます。