6) 色絵磁器(赤絵)の誕生。
色絵磁器とは、白磁に赤を主調とし、緑、紫、青などの顔料で上絵付けをした焼き物です。
? 赤絵の起源。赤絵は中国で発明された技法です。
中国の宋三彩の影響を得て、金王朝代(1115 〜 1234年)に初期の赤絵が誕生したと思われて
います。
注: 宋三彩は、白、黄、緑、褐色などの鉛釉を掛けて焼いた軟陶です(三色とは限らない)
尚、宋三彩と言う場合、金三彩を含めて称する事が多いです。
最初は華北の磁州窯系の窯で焼造されていましたが、河南省の登封窯、魯山窯、宝豊窯や
河北省の磁州窯などでも、作られる様になります。
宋代の磁州窯では、白胎に黒色で鉄絵や掻落し、線彫りの花文が主な装飾技術でしたが、
そこに赤絵が登場します。1300年代に硬質な磁器に赤絵が施されたのは、世界で最も早いと
言えます。文様は水禽類、蓮花魚文、牡丹花文などで、力強い筆さばきで、簡潔に表現されて
います。
? 古赤絵(こあかえ)。
景徳鎮の万暦赤絵以前の、16世紀前半、即ち嘉靖期(1522‐66)以前の民窯で量産された赤絵を
言います。特徴は下絵付けの染付が無い事です。
? 元末から明朝始めの赤絵。
青花磁器の発達は青花紅彩へと発展して行きます。明代に於いて彩絵磁器が完成します。
成化〜広治年間(1465〜1505年)に「豆彩」と呼ばれる赤絵が登場します。
本焼き後の磁胎に淡緑色を主体として、赤、黄で上絵付けした物です。
三代皇帝の永楽帝時代(在位期間1402〜1424年)には、景徳鎮の御器厰の制度が整備され
磁器の製造は一段と発達します。その作品や技法は北欧、東欧、東南アジア、日本へ輸出され
その地域に大きな影響を与えます。
? 嘉靖年間の赤絵。
1520年代前後に、民窯で五彩磁器が発生したと思われています。
民窯では金襴手が、官窯では白磁や青花磁に五彩を加えたものを中心に、色釉地に色釉文様を
加えた雑彩と呼ぶ濃麗な作品も作られていました。
中国で本格的な磁胎赤絵(五彩磁器)は、1530年頃の嘉靖年間に安定した技術が確立します。
特に嘉靖年間の45年間は、発達が著しく、生産量も増大します。
その為に、23工程もの分業体制が取られていたとも言われています。
? 万暦(ばんれき)赤絵(万暦五彩)。
中国明の万暦年間(1573〜1620年)に景徳鎮で制作された磁器で、白磁に染付と赤、緑、黄、
紫色の上絵付けを施した焼き物です。この時期の赤絵は特に美しく、官窯で多量に製造され
我が国にも多く輸出され、現在でも多く残っています。
? 南京赤絵と天啓赤絵。
南京赤絵は、明時代末期から清時代初期にかけて、景徳鎮の民窯系の窯で焼かれた色絵磁器
です。明王朝の都が南京にあったことから、我が国では中国から輸入された色絵(五彩)
磁器を指す言葉になっています。
明時代末期の天啓、崇禎年間(1621〜44)の物は、天啓赤絵と呼ばれ、南京赤絵とは区別
されることもあります。
7) 日本の赤絵。
以下次回に続きます。
色絵磁器とは、白磁に赤を主調とし、緑、紫、青などの顔料で上絵付けをした焼き物です。
? 赤絵の起源。赤絵は中国で発明された技法です。
中国の宋三彩の影響を得て、金王朝代(1115 〜 1234年)に初期の赤絵が誕生したと思われて
います。
注: 宋三彩は、白、黄、緑、褐色などの鉛釉を掛けて焼いた軟陶です(三色とは限らない)
尚、宋三彩と言う場合、金三彩を含めて称する事が多いです。
最初は華北の磁州窯系の窯で焼造されていましたが、河南省の登封窯、魯山窯、宝豊窯や
河北省の磁州窯などでも、作られる様になります。
宋代の磁州窯では、白胎に黒色で鉄絵や掻落し、線彫りの花文が主な装飾技術でしたが、
そこに赤絵が登場します。1300年代に硬質な磁器に赤絵が施されたのは、世界で最も早いと
言えます。文様は水禽類、蓮花魚文、牡丹花文などで、力強い筆さばきで、簡潔に表現されて
います。
? 古赤絵(こあかえ)。
景徳鎮の万暦赤絵以前の、16世紀前半、即ち嘉靖期(1522‐66)以前の民窯で量産された赤絵を
言います。特徴は下絵付けの染付が無い事です。
? 元末から明朝始めの赤絵。
青花磁器の発達は青花紅彩へと発展して行きます。明代に於いて彩絵磁器が完成します。
成化〜広治年間(1465〜1505年)に「豆彩」と呼ばれる赤絵が登場します。
本焼き後の磁胎に淡緑色を主体として、赤、黄で上絵付けした物です。
三代皇帝の永楽帝時代(在位期間1402〜1424年)には、景徳鎮の御器厰の制度が整備され
磁器の製造は一段と発達します。その作品や技法は北欧、東欧、東南アジア、日本へ輸出され
その地域に大きな影響を与えます。
? 嘉靖年間の赤絵。
1520年代前後に、民窯で五彩磁器が発生したと思われています。
民窯では金襴手が、官窯では白磁や青花磁に五彩を加えたものを中心に、色釉地に色釉文様を
加えた雑彩と呼ぶ濃麗な作品も作られていました。
中国で本格的な磁胎赤絵(五彩磁器)は、1530年頃の嘉靖年間に安定した技術が確立します。
特に嘉靖年間の45年間は、発達が著しく、生産量も増大します。
その為に、23工程もの分業体制が取られていたとも言われています。
? 万暦(ばんれき)赤絵(万暦五彩)。
中国明の万暦年間(1573〜1620年)に景徳鎮で制作された磁器で、白磁に染付と赤、緑、黄、
紫色の上絵付けを施した焼き物です。この時期の赤絵は特に美しく、官窯で多量に製造され
我が国にも多く輸出され、現在でも多く残っています。
? 南京赤絵と天啓赤絵。
南京赤絵は、明時代末期から清時代初期にかけて、景徳鎮の民窯系の窯で焼かれた色絵磁器
です。明王朝の都が南京にあったことから、我が国では中国から輸入された色絵(五彩)
磁器を指す言葉になっています。
明時代末期の天啓、崇禎年間(1621〜44)の物は、天啓赤絵と呼ばれ、南京赤絵とは区別
されることもあります。
7) 日本の赤絵。
以下次回に続きます。