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Channel: わ! かった陶芸 (明窓窯)
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焼き物の着物(色彩)86 赤絵1

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6) 色絵磁器(赤絵)の誕生。

  色絵磁器とは、白磁に赤を主調とし、緑、紫、青などの顔料で上絵付けをした焼き物です。

 ? 赤絵の起源。赤絵は中国で発明された技法です。

  中国の宋三彩の影響を得て、金王朝代(1115 〜 1234年)に初期の赤絵が誕生したと思われて

  います。

   注: 宋三彩は、白、黄、緑、褐色などの鉛釉を掛けて焼いた軟陶です(三色とは限らない)

     尚、宋三彩と言う場合、金三彩を含めて称する事が多いです。

     最初は華北の磁州窯系の窯で焼造されていましたが、河南省の登封窯、魯山窯、宝豊窯や

     河北省の磁州窯などでも、作られる様になります。

   宋代の磁州窯では、白胎に黒色で鉄絵や掻落し、線彫りの花文が主な装飾技術でしたが、

   そこに赤絵が登場します。1300年代に硬質な磁器に赤絵が施されたのは、世界で最も早いと

   言えます。文様は水禽類、蓮花魚文、牡丹花文などで、力強い筆さばきで、簡潔に表現されて

   います。

 ? 古赤絵(こあかえ)。

   景徳鎮の万暦赤絵以前の、16世紀前半、即ち嘉靖期(1522‐66)以前の民窯で量産された赤絵を

   言います。特徴は下絵付けの染付が無い事です。

 ? 元末から明朝始めの赤絵。

   青花磁器の発達は青花紅彩へと発展して行きます。明代に於いて彩絵磁器が完成します。

   成化〜広治年間(1465〜1505年)に「豆彩」と呼ばれる赤絵が登場します。

   本焼き後の磁胎に淡緑色を主体として、赤、黄で上絵付けした物です。

   三代皇帝の永楽帝時代(在位期間1402〜1424年)には、景徳鎮の御器厰の制度が整備され

   磁器の製造は一段と発達します。その作品や技法は北欧、東欧、東南アジア、日本へ輸出され

   その地域に大きな影響を与えます。

 ? 嘉靖年間の赤絵。

   1520年代前後に、民窯で五彩磁器が発生したと思われています。

   民窯では金襴手が、官窯では白磁や青花磁に五彩を加えたものを中心に、色釉地に色釉文様を

   加えた雑彩と呼ぶ濃麗な作品も作られていました。

   中国で本格的な磁胎赤絵(五彩磁器)は、1530年頃の嘉靖年間に安定した技術が確立します。

   特に嘉靖年間の45年間は、発達が著しく、生産量も増大します。

   その為に、23工程もの分業体制が取られていたとも言われています。    

 ? 万暦(ばんれき)赤絵(万暦五彩)。

  中国明の万暦年間(1573〜1620年)に景徳鎮で制作された磁器で、白磁に染付と赤、緑、黄、

  紫色の上絵付けを施した焼き物です。この時期の赤絵は特に美しく、官窯で多量に製造され

  我が国にも多く輸出され、現在でも多く残っています。

 ? 南京赤絵と天啓赤絵。

   南京赤絵は、明時代末期から清時代初期にかけて、景徳鎮の民窯系の窯で焼かれた色絵磁器

   です。明王朝の都が南京にあったことから、我が国では中国から輸入された色絵(五彩)

   磁器を指す言葉になっています。

   明時代末期の天啓、崇禎年間(1621〜44)の物は、天啓赤絵と呼ばれ、南京赤絵とは区別

   されることもあります。

7) 日本の赤絵。

以下次回に続きます。


焼き物の着物(色彩)87 赤絵2

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7) 日本の赤絵。

 ? 色絵の顔料(色絵彩料)に付いて。

  赤絵は白磁の上に、赤やその他の色絵彩料を筆で塗り、更に低温度(800℃程度)で焼き

  付ける方法です。色絵の彩料は、全て鉱物(金属)を使用しています。更に、その色彩は窯の

  雰囲気(酸化焔、還元焔)によって発色が異なります。使う金属の種類は以下の様になって

  いますが、筆で塗り易い様に色々細工(粒子の細かさ、添加物など)がされています。

  ?) 金色は純金を使います。

  ?) 銀色は銀を使います。

  ?) 赤色は酸化第二鉄(弁柄)又は金属銅(釉裏紅)を使います。

  ?) 紫色は二酸化マンガン又はコバルトを使います。

  ?) 緑色は酸化銅です。

  ?) 黄色はルチール又は鉄です。

  ?) 茶色は酸化第一鉄です。

  ?) 黒色は、酸化第一鉄、マンガン、コバルト+緑釉です。

  ?) ピンク色は、二酸化マンガン又は金を使います。

 ? 我が国での磁胎赤絵は、正保年間(1644〜1648年)の1450年頃、西肥前の有田郷で、初代

   酒井田柿右衛(喜三右衛門、〜1666年)窯で焼成され、赤絵の技術が完成したと言うのが

   通説です。伊万里の陶商の東島徳左衛門が、長崎に滞在する中国人から情報を得、更に彼らの

   協力で、柿右衛門窯で成功します。この技術は瞬く間に各地に伝わります。

  ?) 同時期に北陸の九谷でも古九谷赤絵が完成し、京都の京窯でも赤絵(錦手)が完成します

  ?) 赤絵磁器が急速に発展し、大量に作られる切っ掛けは、1659年頃にオランダ東インド会社

   (VOC)の大量買付けです。東インド会社により、ヨーロッパの王侯貴族の宮殿や邸宅を飾る為

    ヨーロッパ等の国々へ大量に運ばれていきました。特に「柿右衛門様式」と呼ばれる色絵

    磁器は有田の色絵の流行様式になります。

 ? 柿右衛門様式について

  ?)柔らかく温かみのある乳白色の白磁器の上に、余白を十分に残した明るく繊細で絵画的な

   構図が特徴です。この技法を濁手(にごして)と呼びます。

  ?) 絵柄は主に大和絵的な花鳥図などを題材とし、暖色系の色彩で描かれた非対称の構図

   が特徴です。図柄には「岩梅に鳥」「もみじに鹿」「竹に虎」「粟に鶉」など典型的な物が

   いくつかありますが、時代とともに変化し、やがて狩野派、土佐派、四条派、琳派などの

   絵画の影響が入って行きます。

  ?) 乳白色の素地だけでなく青味を帯びた白磁や染付を用いた素地にも、同様な色絵を施した

    物も多く作られています。これらも含め「柿右衛門様式」と呼ばれています。

  ?) 「柿右衛門様式」の作品はドイツのマイセン窯などで、模倣品が作られます。

    更に、中国の景徳鎮窯にも影響を与え(景徳鎮伊万里)、同様の作品が作られ、ヨーロッパ

    に輸出されていました。

  ?) 「柿右衛門様式」は有田焼でも、緻密な作風の鍋島様式や寒色系で余白の少ない古九谷

    様式と異なり、柔らかく暖かな雰囲気を感じさせます。

  ?) 柿右衛門の名前は代々受け継がれ、各々の柿右衛門は技術を磨きながら赤絵を作り続けて

    います。

   a) 四代(1640〜1679年)までの間が初期柿右衛門とされ、作風も余り変化が無い様です。

   b) 六代目(1690〜1735年)は、中興の祖と呼ばれ高い技能を有していました。

   c) 七代目以降濁手の技法が中断します。

   d) 十二代と十三代(1906〜1982年)は1947年頃から濁手の復活をめざし、1953年に初めて

    濁手の作品を発表します。

   e) 尚、濁手の製作技術は1955年に国の選択無形文化財に選択され、1971年には重要無形

    文化財に指定されています。尚、現在は十四代目で、近年は写生を基にした現代的な画風

    が多いそうです。

 ? 西洋への輸出品。

以下次回に続きます。

焼き物の着物(色彩)88 赤絵3

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7) 日本の赤絵。

  江戸前期〜江戸中期(1672〜1772年頃)の約100年間に肥前磁器の生産は黄金期を向かえます。

  内外の需要に答える為、有田内山、外山、大外山(杵島、藤津地方)等の広範囲で磁器が製造

  されています。

 ? 西洋への輸出品。

  オランダの東インド会社の磁器貿易が一段と活発化し、品種も多様化して行きます。

  中国風な意匠の文様と、和様化された意匠文様、更に、ヨーロッパへの輸出として洋風化製品

  (コーヒーカップ等)が作り出され、各々量産体制が採られます。

 ?) 鎖国中の輸出。

   江戸幕府は寛永16年(1639年)に鎖国令を出し、寛永18年にオランダ人に限り長崎出島に滞留

   させる条件で、貿易に従事する事を許可します。

 ?) 東インド会社の磁器の交易は、承応2年(1653年)頃から軌道に乗り、1660年前後から良質の

   磁器が大量に輸出される様になります。この流れは、1775年までの間続けられます。

  a) オランダが磁器の交易を手掛かけた理由は、1658〜1682年の25年間、中国の磁器が輸入

    出来なく成った為で、その代替品とし伊万里(有田)の磁器が選ばれらたとの事です。

  b) オランダは国策として、南アフリカのケープタンを経由して、東インド諸島や東支那海、

    日本への海路を開き、交易を活発化する政策を採っています。

  c) 長崎出島は上記海路に近く、東インド会社の需要を満たす事が出来る体制が整えられた、

    肥前磁器は打って付の品物と成っていました。

 ?) オランダ貿易の国内の影響。

   予想を超えるオランダ貿易の成功は、次第に我が国の国内需要を増す事になります。

   当時の有田近辺や城下町、街道筋の武家、商家、町衆の間にも、磁器を使う様に成ったと言わ

   います。

 ?) 万治2年(1659年)東インド会社より、56,700個の大量の磁器の買い注文を受けます。

   この注文を、わずか3ヶ月で無事納める事が出来ました。

    磁器の内訳は以下の如くです。

    a) コーヒーカップ(高台の無い物) 35,000個

    b) コーヒーカップ(高台の有る物) 15,000個

    c) 碗又は鉢               6,000個

    d) 瓶(6リットル入)           100個

    e) 大皿(大、中、小)           600枚

   尚、各品物には、細部に渡り注文があり、見本も有ったとの事です。

   例えば、コーヒーカップの文様には「内外ともに青い花文があるもの」「青い花文がある

   もの」「白磁の底裏に日本字が六つ書かれたもの」「外側は瑠璃釉で内側は白釉のもの」の

   四種類あり、各々文様が図面で指示されていた様です。

   大皿は、「青い文様」とありますので、芙蓉手と呼ばれる染付けです。

  その後、1635年からは、「赤と緑で描いた文様のある」大皿、大鉢、中皿、碗の注文が続き

   ます。1637年には有田から堺の商人に売り渡すした磁器は、39,282個で、内訳は染付磁器が

   3,500個で残り全てが「赤と緑の文様のある」磁器との事です。これは「呉須赤絵」ではないか

   と思われています。尚、この製品がどの様に流れて行ったは不明です。

 ?) オランダ商館の帳簿によると、一人の商人が十万個の「呉須赤絵」の色絵磁器を買い取る

   事も珍しい事ではなかった様です。オランダのみでなく、当時出島に来ていた中国人や

   ポルトガル商人も、同様な取引が行われていたと思われています。

 ?) オランダ東インド会社との磁器製品の取引に関する記録は、1757年以降見受けられなく

   なります。オランダは三度に渡る英蘭戦争等で、国力は次第に衰退し、イギリス東インド会社

   に植民地帝国の座を譲り渡し、英国が海上覇権を確立する事になります。

   1795年にはフランス革命軍により本国(オランダ)が占領され、この混乱の中で1799年、

   オランダ東インド会社は解散します。

8) 古伊万里様式と柿右衛門様式。

以下次回に続きます。

焼き物の着物(色彩)89 赤絵4

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8) 古伊万里様式と柿右衛門様式。

  西欧に大量輸出が行われていた時代に、有田皿山に於いて、古伊万里様式と柿右衛門様式と

  異なる二つの色絵磁器が完成されます。両様式とも、個性に富んだ作品を作り出します。

  制作工程は、有田皿山の各々の窯で、染付け磁器が作られた後、赤絵町に運ばれ、絵付け専門の

  職人によって、上絵が施されます。

 ? 柿右衛門様式

   柿右衛門様式と呼ばれる色絵磁器は、オランダ東インド会社の注文による西欧への輸出用の

   焼物で、1670年代〜1690年代にかけて流行した様式です。

   但し、これらは柿右衛門窯のみによって製造された訳ではなく、伊万里の陶工達が総力を

   挙げて作った製品群であった事が、近年の発掘調査で判明されています。

   その特徴は以下の通りです。

  ?) 余白を多く残し、淡い色調で文様を優雅に描きます。

  ?) 濁手という乳白色の素地に、余白を生かした絵画的な構図の作品となっています。

    作品は、皿、鉢、壷、瓶、蓋物が多いです。その他に色絵人形があります。

  ?) 赤や黒で細く輪郭を描いた後、赤、緑、黄で着色された文様が特徴です。

    文様は秋草文、菊文、花鳥文、粟鶉(あわうずら)文、双鳳牡丹文、蓮牡丹文、山水文

    などがあります。

  ?) 土型を用いて、薄手で同じ形が出来る技法も採っています。

    土形を利用して、六角や八角形の壷や鉢、五弁の輪花鉢などが作られます。

  ?) 柿右衛門様式として、著名な作品として以下のものがあります。

    a) 色絵花鳥文鉢、重要文化財: 17世紀後半、東京国立博物館蔵。

      高さ 21.3cm、 口径 30.3cm、 底径 16.3cm

    b) 色絵花鳥文瓢形瓶: 17世紀後半、 梅沢美術館蔵。

      高さ 40.2cm、 口径 7.6cm、 底径 12.6cm

    c) 色絵双鳳牡丹唐草文皿: 17世紀後半、 東京国立博物館蔵。

      高さ 7.0cm、 口径 35.2cm、 底径 19.4cm

    d) 色絵粟鶉文八角鉢: 17世紀後半、 救世箱根美術館蔵。

      高さ 7.5cm、 口径 24.2cm、 底径 13.0cm

    e) 色絵秋草文輪花鉢、: 17世紀後半

      高さ 21.3cm、 口径 30.3cm、 底径 16.3cm

    f) 色絵花卉(かき)文輪花鉢: 17世紀後半

      高さ 10.5cm、 口径 23.7cm、 底径 11.3cm

    g) 色絵人形:17世紀後半。高さ 30.2cm。 26.5cm。 26.5cmなど数体あります。

      我が国には現在、立姿や立膝(ひざ)姿の婦人の像が多く存在しますが、これらは

      ヨーロッパに輸出されスエーデン王室や英国王室などで、収集された物が近年逆輸入

      された物が多いです。当時の寛文〜元禄に掛けて流行した「御所髷(まげ)」と呼ば

      れる髪形です。衣装も当時流行った「寛文雛形」と呼ばれるものです。     

  ?) 柿右衛門様式の作品はヨーロッパに数多く輸出され、ドイツのマイセン窯等で模倣され

    ました。その繊細で優美な作風がヨーロッパの王侯貴族を魅了します。

 ? 古伊万里様式。

  「古伊万里様式」は、それまで流行していた「柿右衛門様式」に替わり、元禄期(1688〜1704)

   に生まれます。伊万里の歴史上で、最高技術の作品は、元禄期を中心にできた染付けの

   器です。染付の藍色の素地に、上絵の赤、緑、黄色などで装飾した作品です。

  ?) 初期伊万里

   a) 伊万里焼の初期の焼き物で、ほとんどが染付です。

    素焼きの技術はなく、生掛の為、焼成で貫入が入ったり、途中で割れる事も多かった様です

   b) 作品は小皿や中皿類が多く、大皿(尺〜尺五)の割合は少ないです。

    更に、大皿では無傷のものは、ほとんど有りません。 

   c) 皿の特徴は、高台が小さく(直径の1/3位)、そして、生掛けの為、何処かに必ず手跡が

    付いています。更に、生地は肉厚に成っています。

   d) 初期伊万里焼の作品は、昔から評価が高く、日本の鑑賞陶器としては、随一と言われて

    います。

  ?) 前期伊万里(藍九谷、古九谷)

   図柄や作風が古九谷の雰囲気に似ている為に、数十年前に藍九谷という名が付いた様です。

   初期の品物より完成度が上がっています。

   中でも、前期と後期があり、高台の直径は、初期の物が大きくなります。

   前期のものは生掛けですが、後期になると素焼きをした薄手の生地になります。

  ?) 藍柿(盛期伊万里)

   藍柿は、元禄を中心にして作られた染付けの最上手の器です。

   色絵や染錦もありますが、染付のものに限って使われる名称です。

   又、染付した物に、後で色を付けたも物もあります。

   a) 生地は白くて最高の土が使われています。その為、染付の色合も最高の物と成っています

  ?) 元禄古伊万里。

   元禄時代を中心に作られた 染付、色絵、染錦手の伊万里焼きを指します。

   染付や染錦の品物は、外国向けに作られた大きい品物が多く、柿右衛門手と比べると、生地が

   鼠(ねずみ)色がかった感じがします。

   ・ 型物古伊万里。型を使って作った様な、揃った形の作品で、見込みに染付で荒磯文や

     琴高仙人図など中国風な文様を描き、周囲には内外ともに濃密な色調で花唐草文などを

     描くもので、元禄期の華やかさを描き出した器です。 

   ?) 伊万里焼の著名な作品。

9) 金襴手様式

以下次回に続きます。

焼き物の着物(色彩)90 金襴手

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8) 古伊万里様式と柿右衛門様式。

 ? 古伊万里様式。

  ?) 伊万里焼の著名な作品。

   a) 染付の作品(初期伊万里)

    ・ 染付竹虎文三脚皿: 谷川を渡る虎が見上げる岩に雉(きじ)が止まっている図柄です

      高さ 15.0cm、口径 45.6cm。

    ・ 染付葡萄文菊形鉢: 25弁の切れ込みを入れた、菊形の大鉢です。出光美術館蔵。

      高さ 15.0cm、口径 45.6cm。

    ・ 染付花卉文徳利: 箱根美術館蔵。

      高さ 31.5cm、口径 5.3cm、胴径 17.6cm、底径 10.6cm

    ・ 染付鳳凰文八角壷: 和蘭陀(オランダ)貿易資料館蔵。

      高さ 72.6cm、口径 22.8x23.4cm、胴径 42.0cm、底径 19.8cm   

   b) 赤絵(色絵)の作品。

    ・ 色絵沢瀉(おもだか)徳利: 東京国立博物館蔵。 

      高さ 37.2cm、口径 5.1cm、胴径 20.0cm、底径 12.3cm。

    ・ 色絵獅子牡丹文鉢: 東京国立博物館蔵。

      高さ 6.8cm、口径 29.8cm、底径 15.0cm。

    ・ 色絵花鳥文壷: 寛文年間。 ビクトリア・アルバート博物館蔵。

      高さ 28.4cm

    ・ 色絵琴高仙人文鉢: 梅沢記念館。

      高さ 8.9cm、口径 22.6cm、底径 17.0cm。 

9) 金襴手様式

  藍色と金、赤の組み合わせが基本で、「金欄手(きんらんで)」の古伊万里又は「染錦手」と

  呼ばれます。織物の金襴に似ていると処から日本でこう呼ばれています。金彩色絵磁器の事です

 ? 金襴手は最初に、中国江西省景徳鎮民窯で、16世紀中ごろ(明代嘉靖年間)に作られました。

   上絵付した後、金箔を焼き付けて文様を表したものです。

   又、後世に成って、金泥を用る様になります。

 ? 金襴手の磁器には、

  ?) 五彩(赤絵)に金彩を加えた赤絵金襴手。

  ?) 赤地釉に金彩を用いた赤地金襴手。

  ?) 瑠璃(るり)釉の上に金彩を加えた瑠璃地金襴手。

  ?) その他、萌葱(もえぎ)地金襴手。黄地金襴手。白地金襴手などがあります。

 ? 我が国の金襴手様式。

  ?) 江戸の元禄期(1688〜1704年)に現れた様式です。

    中国明代後期の嘉靖、萬暦期の金襴手をモデルにしています。

    皿底の銘に「大明嘉靖年製」「大明萬暦年製」と記された物が多く、これはデザインの

    一部として取り入れたものであると考えられています。

  ?) 濃い染付に赤や金の絵の具を贅沢に使って、花文様などを器面いっぱいに描き込んだこの

    様式は、経済的に豊であった元禄時代の気風を反映したものと考えられています。

  ?) 全体的に装飾効果が高く、輸送されたヨーロッパで好まれ、現在でも大型の壷など多くの

    作品が、世界各地の博物館や古城を飾っています。

  ?) 金襴手の著名な作品。

   ・ 色絵五艘船文独楽形鉢: 箱根美術館蔵。

     高さ 9.1cm、口径 36.4cm、底径 20.4cm。 

   ・ 色絵菊形鉢: 伊万里型物の中でも最も華麗な大作です。

     高さ 10.9cm、口径 28.9cm、底径 15.4cm。 

   ・ 色絵花卉文角瓶: 近年ヨーロッパから逆輸入された作品です。

     通蓋高さ 22.6cm、身高さ 21.8cm、口径 3.0cm、胴径 11.8cm、底径 9.5cm

以下次回「鍋島」に続きます。   

焼き物の着物(色彩)91 鍋島1

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1) 鍋島焼。

 17世紀初期から19世紀後半(1610〜1865年前後)の肥前の有田郷で製造された染付、色絵磁器の

  中に、「鍋島焼」と呼ばれる作品があります。

 ? 鍋島藩の「御用窯」。

  ?) 鍋島とは、肥前鍋島藩窯で焼かれた「鍋島御用焼」の略称で、現在では鍋島藩窯の製品を

   「鍋島焼」又は、「鍋島様式」と呼ばれています。

    但し、当時「藩窯」の言葉は用いられず、「御用窯」「御用焼」「御道具山焼」と表現

    されていた様です。

  ?) 当時茶の心得のある各地の大名は、領内や城内に「御庭焼」称する「御用窯」を築き、

    茶道具を作るのが一般的でした。肥前佐賀の鍋島藩に於いても、寛永五年(1628年)有田郷

    内山の岩谷川内に最初の「御用窯」を作り、寛文初年(1661年)に南川原山に、次いで

    大川内山に移築します。 多くの鍋島焼は、この大川内山の窯で焼かれた物です。

  ?) 藩窯が有田や伊万里の中心部から、遠く離れた山間の辺境の地の大川内に置かれたのも、

    情報漏洩を防ぐ為であったと思われています。

    本格的に「御用窯」として活動を始めるのは、1675年頃からと言われています。

 ? 肥前鍋島の「御用窯」が、他の諸大名の「御用窯」と異なるのは以下の事柄です。

  ?) 鍋島三十五万七千石の体面を保持しつつ、藩の直営企業として、明治四年の廃藩置県

    に至る、約240年間の長期に渡り操業され続けられます。(尚、その後は、今泉今右衛門家に

    よって、近代工芸として復興され、21世紀に至っています。)

  ?) 鍋島藩の監督の中、一定水準以上の高度の磁器を作り続けていました。

  ?) 窯や細工場、職人の新陳代謝を計り、製品の改良に努めていました。

  ?) 「御用窯」の製品は一般の市販品ではなく、厳選された上、将軍家、幕府公儀、公家、

    各地の諸大名、社寺への献上品や贈答品として使用されていました。

    又、上記諸侯からの、指定の意匠や絵文様による特注品の製作も行っていました。

  ?) 製品は大名社会の生活調度品であり、他の漆工芸(塗り物)や染織工芸と調和を保つ

     作品に成っています。

  ?) 最高級の色絵磁器を製造する為に、監督は元より、原材料(陶石、釉、顔料など)の吟味

     製法の標準化、職人の技術の熟練度の向上など、多くの注意が払われていました。

 ? 大河内藩窯。

  ?) 磁器の工房は、細工方11名、画工9名、捻細工4名、下働き7名の31名から構成されていた

   そうです。他に「御手伝窯焼」として本手伝10名、助手伝6名がおり、その他御用赤絵屋、

   御用鍛冶屋、御用土伐、御用石工、薪方頭取などの諸職が存在ていました。

  ?) 多くの職人によって磁土の精製、成形、下絵付け(染付)、本焼き、上絵付け(色絵)、

    上絵の焼き付けなどの工程が分業で行われ、さらに原料の磁土を採掘する者、窯を焚く為の

    薪を供給する者など、多くの人材が関わっていました。

  ?) 本焼きまでは、大川内山窯で行われ、上絵付の作業は有田の赤絵町で行われていました。

   (尚、初期の頃は大川内山窯に、絵付け工房が併設されていた様です。)

    即ち、作品の成形、素焼き、呉須(コバルト)による下絵付、本焼きは、大川内山窯の

    職人が担当し、上絵付けからの工程(下絵の上に赤、黄、緑の色絵を施し、再度焼く)は、

    有田の赤絵町の職人が担当する、完全な分業が行われていました。

 ? 鍋島様式。

  ?) 「御用窯」で作られた作品の九割は、会席膳用の皿や向付け等の食器類と言われています

    それらには、特権階級の調度品にふさわしい装飾性が施されています。

    他の一割程度は、什器類との事で、茶陶はほとんど焼かれていません。

  ?) 鍋島御用窯の製品は、意匠成形や絵文様の表現に独自の傾向が見られ、様式化し自由な

    表現は許されていませんでした。その為、「御用窯」の作品は鑑別が容易との事です。

    但し、製作年を明記した作品が少なく、同じ文様を長期間使うことが多く、年代による

    作風の変化を追うことは困難と言われています。

  ?) 鍋島の色絵は赤、黄、緑の3色のみを用いるのが原則で、まれに黒や紫も使われるが、

    伊万里焼の様に、金彩は原則として使われません。

以下次回に続きます。

焼き物の着物(色彩)92 鍋島2

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1) 鍋島焼

 ? 鍋島焼の作品の種類。

   鍋島の最盛期は、1690年代〜1750年頃までとされています。

  ?) 鍋島焼の主要な作品は、大川内藩窯で制作された物です。1952年(昭和27年)以降行の

    大川内山窯跡の発掘調査の結果で判明します。

  ?) 作品は、皿、向付などの食器類が多いです。特に皿は円形で、小皿の三寸皿(約 9cm)

    中皿の五寸皿(約 15cm)、七寸皿(約 21cm)と大皿の尺皿(約 30cm)と規格化

    された大きさの物が多いです。特に七寸皿が圧倒的に多く生産されています。

    同じ文様で同じ大きさの五客、十客とセット物が多いのですが、尺皿には同じ絵柄は少なく

    一点作りの様です。

  ?) 八角皿や、輪花形、方形などの変形の皿や鉢、三脚の皿も作られています。

    これらは「土型」を使った型打成形法によって、制作された物と思われます。

  ?) 皿類の特徴は、木盃(もくはい)形と称される独特の形状の浅めの皿で、高台が高く

    高台から縁へ、張りのあるカーブを描いているのが特徴です。

    尚、木盃形は神事に使われた土器の形で、酒盃として我が国では古くから身近な形として

    馴染んでいました。

 ? 鍋島焼の文様。

  ?) 初期鍋島では、有職文様、更紗(さらさ)文様、唐草文様、唐草連鎖文様などの図案化

     された文様が多いです。注: 有職(ゆうそく)文様とは、平安時代以来、公家階級で

     装束や調度 などに用いられた伝統的文様です。

  ?) 前期〜盛期鍋島では、春秋の草木、草花類、野菜類、果実類など写実的に描いた物や

    春秋の節句の祝膳用の季節の草花類、中国の慶祝文様(宝尽文、三瓢文、三壺文など)が

    有ります。尚、寛文〜元禄、享保年間に江戸や浪花で発行された、木版刷りの「稽古

    帖」類や「染めしいながた(雛形)」等の絵手本を参考にし、器形に合わせて構成し

    直した文様が使われています。例えば、春秋の季節の絵模様を図案化して描いています。

  ?) 裏文様と高台文様。 初期鍋島では、扁平な皿類には牡丹唐草文、牡丹折枝文が描かれ、

    高台には、連鎖剣先文、連鎖二重花弁文が描かれています。

    最も多いのは、裏文様に七宝紐繋三方割文、高台には櫛目文が標準化されます。

  ・ 盛期〜後期では、表絵、裏絵、高台文様に勢いが無く精彩を欠きます。   

 ? 「色鍋島」以外の焼き物。

  ?) 染付(青花): 初期の鍋島の作品はほとんどが呉須(酸化コバルト)による青一色の

    下絵付けで、後で透明系の釉を掛けて、高温で還元焼成した物です。

    尚、上記染付に色絵を付けた物が、「色鍋島」になります。

  ?) 鍋島青磁: 鉄分を多く含む灰釉を掛け、還元焼成する事で、酸化第二鉄が酸化第一鉄に

    変化し、青色系に変色します。染付線描の技術は高度で、繊細でありながら力強さがあり、

    「だみ染」の技法が優れている作品です。

   ・ 染付青磁: 青磁の緑と染付の青、素地の白を組み合わせた文様です。

   ・ 青磁色絵: 染付青磁に、赤や黄色を加えた文様です。

  ?) 銹(さび)釉: 上記灰釉を掛けて、酸化焼成すると茶系に発色します。

   ・ 銹地染付: 上記茶系の上に染付が施されています。

  ?) 瑠璃釉: 釉に呉須を入れ、器全体を瑠璃色にします。

  ?) 墨はじき: 青海波など細かい模様を描く際、色を載せない部分を墨で描きます。

    その上に呉須で文様を描き、高温で焼成すると、墨で描いた部分は燃え尽き白い素地が

    現れます。

 以下次回に続きます。

焼き物の着物(色彩)93 鍋島3

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肥前鍋島焼は、以前述べた様に、一般人に売る為の作品ではなく、藩主が自費を投じて、将軍家

への献上品であり、他の諸大名への贈答品として製作されたものです。

その為、明治四年の廃藩置県により各藩は消滅して財政的に貧窮し、各々所持していた調度品

などは、市場に流出する事になります。

2)鍋島焼の発見。

 ? 一般人が目にする事のなかった鍋島は、当然その存在は一部の人のみが知ってた状態でした。

   色鍋島が立派な美術品として再認識されたのは、明治初期に政府の招聘に応じた、英国人の

   ブリンクリー氏の評価と言われ、鍋島の名前が知れる様になります。

 ? 我が国で最初の本格的な鍋島に対する書籍は、大河内正敏著「柿右衛門と色鍋島」(大正五年

   彩壺会)とされ、これを契機に一般に広く知られる様になります。

   注: 大河内正敏氏。 日本の古陶磁研究の先駆者であり、現理化学研究所(理研)の創立者

     でもある博士です。博士は古陶磁趣味の団体「彩壺会」を作り、古陶磁の蒐集とその

     歴史や作品を紹介します。その結果、彼の学説は後々大きな影響を与えています。

3) 鍋島の様式と変途。

  ? 鍋島は、柿右衛門様式と異なる為、一見してそれと判る焼き物と言われています。

   ?) 渋い染付けで、上絵も上手に描かれています。

   ?) 一定の形と規格化された大きさに統一され、高目の高台皿が多いです。

     高台には櫛歯(くしのは)文様を描き、裏文様も表文様と対応し一体感があります。

   ?) 意匠は大まかで、大胆な文様が多いです。

   ?) 規格化され、キッチリとした仕上げで、色彩、染付、青磁とも綺麗に焼き上げています

  ? 鍋島の文様や絵の描き方も時代の変化によって変化しています。

    鍋島様式は初期、盛期、後期と大きく分かれます。但し、基本的には、器形や文様、製作

    技法はほとんど変化はありません。

   ?) 初期の鍋島は、文様を器全体に隙間無く、色絵で描き込んでいく「つぶし」の技法が

     特徴です。又、青磁や銹(さび)釉、黄釉、瑠璃釉などの各種の釉に、染付や色絵、

     銹絵などの絵付を加え、一つの作品の見込み全体に組み込むのも特徴です。

     初期の文様は以下の三種類に分類されるとの事です。

    a) 第一種は、絵画的な図案ですが、図案に未熟さがあり、描いた線も硬さが感じられる

     との事です。 作品として、

     ・ 青磁染付銹(さび)釉桜樹文皿: 初期鍋島の代表的な七寸皿です。

       (口径 19.7cm、高さ 4.5cm)

     ・ 色絵柏樹双鳥(はくじゅそうちう)文大皿: 東京国立博物館蔵。

       (口径 30.0cm、高さ 6.4cm)

    b) 第二種は、更紗や蜀江錦(しょっこうきん)などの、染織物や七宝繋文、紗綾形、

      小紋などの織物の柄を、転用した幾何学的な文様です。これらの文様が円形の皿の

      見込み一杯に描かれています。

     ・ 色絵蜀江錦文皿: 岡山美術館蔵。 口径 15.1cm、高さ 3.8cm(五寸皿)

     ・ 色絵更紗文皿: 口径 15.3cm、高さ 3.3cm(五寸皿)

     ・ 染付酢漿草(かたばみ)散文皿: 口径 15.5cm、高さ 3.4cm(五寸皿)

    c) 第三種は、染付や幾何学文様から離れ、大胆な構図で、文様を割って丸文や線条文を

      散らしたり、象形文様を当てはめる方法を採っています。

     ・ 青磁染付鶴文皿: 今右衛門古陶磁美術館蔵。

       口径 15.3cm、高さ 3.7cm(五寸皿)

     ・ 色絵丸文皿: 東京国立博物館蔵。5枚組 口径 16.98X 12.8cm、高さ 3.5cm、

       土型で四菱花形皿を作り、糸切細工で楕円形にした高台が付けられています。

     ・ 色絵蟹牡丹文皿: 初期の変形皿の代表的な作品です。口径 16.9 X 12.4cm、

  ?) 盛期(元禄年間)の鍋島の文様

以下次回に続きます。

焼き物の着物(色彩)94 鍋島4

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3) 鍋島の様式と変途。(前回の続きです)

  ? 鍋島の文様や絵の描き方も、時代と伴に変化しています。

    鍋島で取り扱われた文様の種類は、染付の作品を含め500種類以上あると言われています

   ?) 盛期(元禄年間)の鍋島の文様。

    a) 「元禄柿」銘の皿とは、皿の裏側に元禄の年号が記された作品です。

     ・ 最初に現れるのが、「元禄六酉 柿」と底に書かれた「色絵帆掛舟文葉形皿」

       です。以後、元禄八年、元禄十二年銘の作品が現れます。

      「色絵帆掛舟文葉形皿」:元禄六年銘 口径 17.2 X 23.6cm。

     ・ 形は桐の葉を連想させる、不整形の皿です。高台は糸切細工で作られています。

     ・ 素焼き後に、施釉本焼きがされている白磁です。上絵具は、赤、緑、黄、黒、に

       金彩が施されています。

     ・ 裏文様には、四方に七宝結文が染付が描かれ、他に蓑、瓢箪、菱などの宝尽しの文様

       が加えられ、鍋島盛期の様式と成っています。

      「色絵唐花唐草文皿」: 元禄八年銘 梅沢記念館蔵。口径 16.2cm。

      「色絵花唐草文皿」 : 元禄十二年銘 東京国立博物館蔵。口径 21.4cm。

      「色絵唐花唐草七宝繋文皿」: 元禄十二年銘 口径 21.4cm。

    b) 皿の中芯に丸く余白を残す構図は、鍋島独特の構図です。

     本来皿や鉢の見込み中心部分は、その器の主題に成るべき文様を描くのが、中国のだけで

     無く、わが国においても、染付絵付皿や、色絵磁器の常識でした。

     中央を白抜にする画期的な技法は、元禄後期に完成した物と思われます。

     菊座文、唐花文、花唐草文、七宝繋文、鳳凰文などが、皿の縁に沿って環状に配置されて

     います。 作品例として以下の作品があります。

     ・ 青磁染付水車文皿: 田中丸コレクション蔵。 口径 20.8cm、高 5.1cm。

     ・ 染付 地文に雲文大鉢: サントリー美術館蔵。 口径 30.6cm

     ・ 色絵宝尽文皿:岡山美術館蔵。 口径 30.0cm(尺皿)

       注:宝尽(たからつくし)文様とは、砂金袋、蓑、巻物、槌、法螺(ほら)、市女笠

         などの宝物(目出度い物)を描き込んだ文様です。

     ・ 色絵宝尽文皿:林原美術館蔵。 口径 30.0cm(尺皿)

     ・ 色絵牡丹唐草文皿」: 林原美術館蔵。 口径 19.2cm(七寸皿)

     ・ 色絵唐花文皿: 東京国立博物館蔵。 口径 15.2cm(五寸皿)

   ?) 後期の鍋島様式。

     時期が降るに従い、享保の頃から、作品の肉厚は厚くなり、成形に鈍さが増したと言われ

     ています。これは、藩の意気込みの衰退や、慣れによる官僚の統率力の欠如の結果では

     ないかとも言われています。

     a) この頃の文様は、図案ではなく絵画そのものの様な描写に成っているのが特徴です。

     b) 絵画そのものを見込み全体に描き込み、周囲を幾何学的文様で縁取る事も無くなって

       います。即ち、一幅の絵を皿に描いた状態です。作品の例として、

      ・ 青磁染付山水文皿: 東京国立美術館蔵。 口径 20.0cm、高 5.8cm

      ・ 染付白梅樹文大皿: 東京国立美術館蔵。 口径 24.3cm、高 10.4cm

      ・ 色絵竹文大皿: 今右衛門古陶磁参考館蔵。 口径 33.7cm、高 10.6cm

      ・ 染付梅松文大皿: 口径 31.5cm、 高 8.4cm 等があります。

以下次回に続きます。
    

焼き物の着物(色彩)95 鍋島5

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4) 鍋島の国指定の重要文化財の作品。

  鍋島は幕府や貴族、各大名や寺社などの支配階級への最高級の献上品や、贈答用の焼き物とし

  て作られていた為、大切に保管されていました。その為貴重な作品が多く残る事になります。

  ? 国指定の重要文化財の作品。

   ?) 色絵 岩牡丹植木鉢図大皿: 元禄時代 栗田美術館蔵。 口径 30.7cm、高 8.2cm

     底径 15.8cm。

   ?) 色絵薄瑠璃 桃図大皿: 元禄時代 MOA美術館蔵。 口径 31.5cm

   ?) 色絵 芙蓉菊文大皿: 元禄時代 サンリツ服部美術館蔵。 口径 31.5cm、高 8.4cm

      底径 15.7cm。

      鍋島焼で唯一、第二次大戦以前(1931年)に重要文化財(当時の国宝)に指定されて

      います。

   ?) 染付 白鷺図三脚皿: 元禄時代 佐賀県立九州陶磁文化館蔵。 口径 28.0cm、

      高 8.5cm。

   ?) 色絵藤棚文大皿: 九州国立博物館蔵。口径 31cm、高 7.8cm。  

   ?) 染付松文三脚皿: サントリー美術館蔵。口径 29.6cm、高 7.5cm

  ? 佐賀県の重要文化財。

   染付有田皿山職人尽し絵図大皿: 19世紀

5) 鍋島焼の作品の90%程度が皿と言われています。残り1割程度が他の作品になります。

 作品として、壺や瓶子、蓋付碗、香炉等の製品も少量ながら現存しています。

 ? 壺、瓶子の鍋島。

  ?) 色絵 松竹梅瓶子: 重要文化財、延宝〜元禄時代、大川内窯製。

    高 30.6cm、口径 3.5cm、胴径 18.5cm、底径 14.5cm。 

    色鍋島の白眉とも称される神酒器です。著名な神社への奉納品又は、慶事の調度品として

    献上された品と思われています。一対で使用される事が多いですので、もう一つ存在して

    いた可能性があります。(近年それらしき作品が発見されている様です。)

   ?) 染付宝尽文大壺: 今右衛門古陶磁参考館蔵。 

     高 39.9cm、口径 19.3cm、底径 19.7cm。

     次の「譲葉文大壺」と伴に、鍋島では稀にみる大きさです。

     口縁が露胎である事から、共蓋を伴っていたと考えられています。

   ?) 染付譲葉文大壺: 元禄〜享保時代。

     高 43.3cm、胴径 39.3cm、底径 18.4cm。

  ? 茶釜。

    色絵 人物文茶釜(茶摘文釜): 元禄時代。大川内窯製。 田中丸コレクション蔵。

     高 17.5cm、胴径 24.6cm。

    茶の湯の釜で、元は蓋が有ったと思われています。

  ? 向付。

    染付、青磁、色絵と各種の向付が作られています。

    文様として、柴垣文様、桜柴垣文様、薔薇文様、萩文様、唐花文様、唐草文様、雲文様、

    竹文、麦藁風文様などが、外側の胴部に描かれています。

  ? 徳利、銚子。

   ?) 染付松竹梅文大徳利: 「享保六年」と記された箱に入っています。

      高 46.7cm、口径 7.0cm、底径 25.4cm。

   ?) 染付空文徳利: 享保以後の作品。

      高 19.9cm、胴径 11.1cm、口径 1.8cm、底径 6.1cm。

   ?) 染付波濤文銚子: 今右衛門古陶磁参考館蔵。 

      高 13.6cm、胴径 17.4cm、底径 16.3cm。

  ? 花生、水注、

   ?) 青磁鳳凰耳花生:高 28.9cm、口径 9.7cm、底径 10.0cm。

   ?) 青磁立鼓花生: 田中丸コレクション蔵。

      高 23.9cm、口径 13.8cm、底径 8.7cm。

   ?) 色絵 牡丹文水注: 享保時代。 静嘉堂文庫蔵。高 31.0cm。

  ? その他の作品。

   ?) 色絵 蔓草文香炉: 元禄時代。 口径 14.0cm、

      色絵 桜文香炉、青磁暁鶏香炉、染付葛屋形香炉などがあります。

   ?) 色絵 宝尽文交合: 元禄時代。 径 5.4cm。

   ?) 染付 蕪文唾壺: 今右衛門古陶磁参考館蔵。 高 6.9cm、

   ?) その他、青磁銹釉獅子、染付銹釉獅子(一対)。白磁鯉(置物)。青磁雲竜文文鎮、

     等があります。

  ? 鍋島の作品が見られる、博物館、美術館など。

   東京国立博物館。栗田美術館(栃木県足利市)。MAO美術館(静岡県熱海)。

   サントリー美術館(東京六本木)。根津美術館(東京南青山)。戸栗美術館(東京渋谷)。

   梅沢記念館(東京御茶ノ水)。林原美術館(岡山県岡山市)。田中丸コレクション(福岡県、

   美術館)。今右衛門古陶磁参考館(佐賀県有田町)。佐賀県立九州陶磁文化館(有田町)

   サンリツ服部美術館蔵(長野県諏訪市)などがあります。

以上にて「鍋島」の話を終わります。次回は「古九谷」に付いてお話します。

焼き物の着物(色彩)96 古九谷1

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古九谷焼とは、加賀国江沼郡九谷村(現在の石川県江沼郡山中町九谷)で焼成された、色絵磁器の

事で、江戸の明暦年間(1655〜1658)頃から約4〜50年間に、加賀前田藩の支藩の大聖寺

(だいしょうじ)の藩窯の元で作られた作品の事と言われています。

現在でも、九谷焼は加賀で焼かれていますが、これらは「復興九谷」とも言われ、古九谷と区別

されています。

1) 古九谷焼の特徴。

  ? 不透明な鈍い白色の磁器素地に、花鳥、山水、風物などを、上絵付けで描いた物です。

  ? 大胆な構図で、文様は祥瑞(しょんずい)風、和風などから、種々の影響がみられ、

    幾何学文様なども多く、独自の古九谷様式を展開しています。

  ? 濃い彩釉を用い、力強い筆致で青、緑、紫、黄の絵の具で、塗りつぶした青手(あおで)が

    特徴に成っています。

  尚、詳細については、後日お話します。

2) 古九谷焼の発生に関わる論争に付いて。

  古九谷焼が何処で作られ焼かれていたかは、古くからの問題で、現在でも論争が続いています。

  即ち、以下の説があります。

  ? 古九谷伊万里説(伊万里古九谷様式説)。

    我が国で色絵磁器と言えば、伊万里焼(有田焼)と九谷焼が代表的な存在です。

    古九谷は伊万里焼の影響を強く受けてはいます。古九谷の発掘調査で、二基の窯が発掘され

    ますが、その実測寸法が有田の初期の窯である、天狗谷古窯などと極めて近い事からも

    伺う事が出来ます。但し、伊万里様式とは、かなり違う様式に成っています。

   ?) 戦前〜1960年代にかけて「九谷ではなく佐賀県の有田で焼かれたものである」という

     説が主張され始めます。

   ?) 根拠として、有田の山辺田窯(やんべたがま)、楠木谷窯などの窯跡から古九谷と

     図柄の一致する染付や、色絵の陶片が出土している事です。

   ?) 石川県山中町の九谷古窯の発掘調査での出土陶片は、有田焼よりも焼成温度が低い、

     半磁胎が多く、高温で磁器が焼成されたとは認められない事です。

   ?) 伝世の古九谷とは作り方の違うものが、発掘されていた事です。

     例えば、伝世九谷では、高台内に「目跡」が有るが、発掘品には見当たらない事。

     皿類の高台径の違い、伝世九谷では口径の1/2以上あるが、発掘品では1/2以下である

     事。更に、伝世九谷には染付文様が見られるが、発掘品には染付文様が全く見られない事

     などの状態から、「古九谷は有田の初期色絵作品である」との説が有力となります。

   ?) 伊万里焼古九谷様式説(有田古九谷様式)。初期伊万里から、柿右衛門様式と古九谷

      様式の二つが発生したと言う説です。最初に古九谷焼様式が完成し、その後に柿右衛門

      様式が完成したと見る説です。根拠に成るのは、海外輸出品に古九谷焼の作品が

      ほとんど見られず、海外輸出が始まる以前の様式との見方もあります。

  ? 技術持ち帰り説。

   ?) 陶工後藤才次郎が、有田で製陶法や絵付法を学び(盗み取った物)、明暦元年(1655年)

     に現在の山中町の九谷に開窯したとの説です。

   ?) 書物の「秘要雑集」によると、藩士の後藤才次郎が、身分を偽り有田に潜入し、

     有田の技術を盗用し、逃げ帰り大聖寺藩の九谷村で発見された陶石を用いて磁器を

     焼いたのが始まりと言う話は有名ですが、その真偽は不明です。但し、後藤才次郎なる

     人物が田村権左衛門と共に、指導的役割を果たしたのは確かな様です。

  ? 伊万里から素地を直接輸入説。

   ?) 初期の古九谷の白磁は、有田から素地を直接輸入し、絵付けのみを行ったとする説です

    即ち、当時の九谷古窯では、白磁を焼く技術が無く、伊万里で作った白磁を輸入し上絵付

    を施したと言う事です。伊万里(有田)の白磁素地は、東インド会社を通じて、西洋に

    多く輸出されています。その為、加賀藩まで、船便で送られた事は十分考えられる事です。

   ?) 近年の科学的分析で、古九谷焼のほとんどの作品の素地が、有田の磁土である事が

     判明します。

  ? 古九谷焼は全て九谷で作られたと言う説です。

    古九谷と伊万里、鍋島焼との大きな違いは色彩にあり、古九谷の色絵の伝統技術が

    伊万里に伝わっていない事が根拠に成っています。

    当時日本から輸出された「やきもの」の色の名前に、赤、青があるが、古九谷の紫、

    黄はありません。また、古九谷は、黒呉須の線描きの上に透明性の高い絵具をべた塗り

    しているが、伊万里では、輪郭線の中に絵付け(友禅のように)、鍋島焼は染付を重視

    しています。こうした事は、古九谷の様式上の特徴は、伊万里、鍋島焼に繋がるものでは

    なく、「古九谷様式」は加賀独自の色絵技術と伝統という見方です。

  尚、現在有力な説は、? の「古九谷伊万里説」(伊万里古九谷様式説)ですが、決着はしばらく

  付かないと思われます。

以下次回に続きます。

焼き物の着物(色彩)97 古九谷2

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2) 「古九谷」の図柄と様式。

  17世紀以降、日本で作られた色絵磁器の中で、有田の柿右衛門、古伊万里、色鍋島や古九谷、

  京都の野々村仁清などの評価が高いです。

  現在、「伝世古九谷」と呼ばれる色絵磁器は、大小、型物を含めて一万以上あると言われて

  います。これらは、ある研究者によれば、四つに分類できるとの事です。

  ? 古九谷の素地に、大聖寺藩内で上絵付された物。

    昭和45、46、47の三次に渡り、九谷古窯で発掘調査された際に、出土した作品類です。

    窯は三基有りましたが、一基は復興九谷の窯で、古九谷の窯は二基のみです。

    これらの窯やその周辺から、約2万点の磁器片が発掘されます。種類は、白磁、青磁、

    青白磁、鉄釉、瑠璃釉、各種の染付文様ですが、「伝世色絵古九谷」に結び付く作品は

    ほとんど見つかりませんでした。

  ? 有田の素地に、有田で上絵付された物。

    「伝世色絵古九谷」は、この状態で作られたと言うのが、最有力の説です。

  ? 有田から素地を輸入し、大聖寺藩内で上絵付された物。

   ?) 当初、九谷の素地を用いて、初期京焼色絵の技術を導入して塗埋手の青手様式を確立し

    ますが、素地の焼成が上手くいかず、有田から素地の移入と絵付の技術を導入したと思われ

    ています。

   ?) 絵付の文様は、中国色絵磁器や、京の狩野派、宗達派の絵画、墨刷木版画八種画譜

     などを手本として、加賀文化とも言える美意識で、古九谷色絵を作り上げています。

  ? 後世の一時期焼成された物。

    九谷の素地を使い、九谷で上絵付けした焼き物です。

  「古九谷」は有田又は、九谷で焼れたとしても、その図柄や様式には独特の物があります。

3) 古九谷の技法。

  「古九谷」と呼ばれる磁器は、青、緑、黄などの濃い色の絵の具を多用し、華麗な色使いと

   大胆で斬新な図柄が特色です。

  ? 様式は、祥瑞手(しょんずいで)、五彩手、青手などに分類されています。

   ?) 祥瑞手は、赤の輪郭線を用い、赤、黄、緑などの明るい色調で文様を描いたものです。

     染付磁器の上手のものを指します。

    ・ 注: 祥瑞手とは、日本の茶人の注文により、中国の明末清初の景徳鎮で焼かれたもの

       と思われている作品です。皿の底に「 五良大甫呉祥瑞造」の銘があり、古来染め付け

       磁器の最上品とされ、吉祥文様を基調として描かれています。

   ?) 五彩手は黒の輪郭線を用い、群青、黄、緑、紫などの濃い色で文様を描いたものです。

    a) 絵付の特徴は、皿や鉢などの器の中央に、山水、花鳥風月、人物等の一幅の絵画を

     描いている事です。

    b) 絵画の周辺を幾何学文様や小紋様等で埋め尽くすものも少なく無く、これは

     中国の景徳鎮がは始めた「窓絵」という構図です。

    c) 古九谷の色絵、五彩手は、中国陶磁の影響を受けながらも、日本の狩野派や琳派、

     土佐派の絵画、国内外の漆芸、金工、染織、欄間(らんま)彫刻等の文様に影響を受けて

     完成したもので、景徳鎮の作品にはなかった新境地を開拓したものです。

   ?) 青手は、色使いは五彩手と似ますが、素地の白磁の質がやや下がり、素地の欠点を隠す

     ように、青、黄、緑、紫などの濃い彩で、余白なく塗りつぶした様式のものです。

     a) 青手の基本的な色は、深みのある緑と黄、これに紺青と紫を加彩し、赤は使いません

       赤絵金襴手とは対極にある様式です。

     b) 青手古九谷の意匠は、きわめて絵画性が強く、「日本の油絵」と称される事も

      あります。

以下次回に続きます。

焼き物の着物(色彩)98 古九谷3

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3) 古九谷の技法。

  古九谷色絵の伝世品の名品は、ほとんどが平鉢や大皿類です。

  江戸初期以来、中国から輸入された呉須手大皿や平鉢、赤絵の芙蓉手大皿などの大物が

  もて囃されていた影響で、古九谷でもこの様な平鉢や大皿に色付けした作品が作られたと

  思われています。但し、中皿、小皿も存在し、これらは、大皿から取分けて食事する際に使われ

  たと言われています。

 ? 呉須赤絵や南京赤絵の意匠の模倣から始まる。

   1736年(享保21年)の書物に、古九谷は「南京焼と同じ」と記載されており、古九谷を入れた

   箱にも「南京大皿」の記載があるとの事です。

   古九谷は、肥前有田が量産体制を引き、大量生産方式であったのに対し、九谷では、

   一品製作が主体ですので、丁寧に仕上げています。

 ? 肥前有田の色絵と古九谷の色絵の違い。

  ?) 使っている色の違い。

   a) 有田では、赤と青を主体に緑、黄、紫を補助的に使用しています。

     古九谷では、緑、紫、黄色を主体にし、赤と青を補助的に使っています。

     尚、絵の具は主に、長崎にて中国産を手に入れていた様です。

   b) 赤色に彩度(あざやかさ)の差があります。

     有田の赤は純白の磁肌に載り、真紅の赤を呈しています。

     古九谷では、素地に鉄分みを含み砂混じりの為、薄黒く沈んだ感じで、磁肌がやや

     荒れた感じになっています。更に、赤色の原料(酸化鉄=朱石)が完全に精錬されず、

     不純物を含み、鉄の粒子を非常に細かくする技術が未熟の為、真紅に成らず、やや濁りの

     ある黒ずんだ赤になっています。

   c) 古九谷様式の豪放で渋みのある趣は、上記のくすんだ磁肌と、赤色などの絵の具類の

     色彩が大きく関係しています。

 ? 古九谷と有田の色絵の描き方(賦彩方法)にも差があります。

  ?) 有田では色絵を描く前に、濃(だみ)筆を使い、呉須で細い輪郭線を描きます。

    その輪郭線の内側を、筆を用いて彩色して行きます。(ベタ塗り)

  ?) 古九谷では、呉須を用いて骨描(ほねがき)し、厚く色絵の具を盛り上げます。

    これを塗り埋め技法と言います。この絵の具を盛る上げる方法は、中国や有田では見受け

    られません。この技法は、初期の京焼の筆法を参考にした物と言われています。

 ? 古九谷の色絵装飾の分類。

  ?) 鉢や皿の見込部の全体に絵が描かれ、縁には文様が無い様式です。

    呉須による骨描の線内に、自由な表現がなされ、最も古九谷らしい作品です。

   ・ 色絵孔雀図平鉢: 「寛永十八年 後藤才次郎定次」の銘があります。 本善寺蔵。

      高 7.5cm、口径 32.7cm、高台径 17.1cm。

   ・ 色絵竹虎図平鉢: 高 9.9cm、口径 33.5cm、高台径 14.9cm。

   ・ 色絵海老図平鉢: 石川県美術館蔵。

     高 9.2cm、口径 33.6cm、高台径 14.8cm。

  ?) 狩野派などの絵画を器の中心に据え、周囲を緑色の唐草文様を巡らせた構図のものです。

   ・ 色絵桃樹双鳥図平鉢: 重要美術品。 古九谷最盛期、寛文(1661〜1672)年間。

     高 7.4cm、口径 37.4cm、高台径 19.3cm。

   ・ 色絵酒宴図平鉢: 重要美術品。 箱根美術館蔵。古九谷最盛期。

     高 8.7cm、口径 40.9cm、高台径 20.0cm。

  ?) 器の見込み部に山水、花鳥風月、人物などを配し、縁を複数に分割し幾何学文様や小紋を

    描いたものです。

   ・ 色絵鶉草花図平鉢: 石川県指定文化財。石川県美術館蔵。

     高 6.9cm、口径 30.8cm、高台径 18.6cm。

  ?) 「青手九谷」と呼ばれるものです。

    赤色を使わず、紫、緑、黄、紺青の中の二〜三色を使い、器全面を塗り埋める

    「塗埋手」の技法で、現代絵画を思わせる作品です。

    ・ 青手樹木図平鉢: 加賀藩前田家が、長崎で購入したオランド・デルフト陶の意匠を

      意識した、西洋絵画風の作品です。高 11.7cm、口径 45.6cm、高台径 17.3cm。

    ・ 青手瓜文平鉢: 初期京焼にある瓜図を古九谷風にアレンジした図柄です。

      高 10.5cm、口径 45.0cm、高台径 18.5cm。

   ?) 全面を幾何学文様で描いたもので、古九谷独自の文様です。

    ・ 色絵幾何学文平鉢: 高 7.1cm、口径 34.3cm、高台径 21.0cm。

    ・ 色絵石畳双鳳文平鉢: 石川県美術館蔵。

      高 7.0cm、口径 34.5cm、高台径 20.2cm。

    ・ 色絵亀甲文壺: 高 27.8cm、口径 12.3cm、胴径 19.4cm、高台径 12.5cm。

   ?) 全面又は縁の一部を、菊花などの小紋で埋め尽し、その中に黄色で各種の窓枠を設け、

     文様を描き込む古九谷独特の文様です。裏模様に八宝文又や牡丹唐草文が描かれてい

     ます。古九谷中期(最盛期)色絵の代表的な文様です。

     ・ 色絵割文色紙山水図平鉢:高 8.9cm、口径 38.8cm、高台径 18.9cm。

     ・ 色絵色紙瓢箪散花鳥図平鉢:高 7.4cm、口径 37.1cm、高台径 19.4cm。

     ・ 色絵百花双鳥図深鉢: 石川美術館蔵。

       高 11.2cm、口径 41.8cm、高台径 31.3cm。

以下次回に続きます。

焼き物の着物(色彩)99 古九谷4

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4) 平鉢や大皿以外の古九谷の作品。

 伝世の古九谷は平鉢や皿類が多いですが、その他の作品も、僅かですが存しています。

 ? 手鉢: 鉢の中央を横断する持ち手(把手)の付いた物です。把手の部分は染付です。

  ・ 色絵花鳥図手鉢: 重要美術品。

     高 9.2cm、口径 22.8cm、底径 16.6cm。

  ・ 色絵色紙花鳥図手鉢:

     高 9.3cm、口径 22.5cm、底径 16.5cm。

 ? 銚子(酒器)。 燗鍋(かんなべ)を模倣した作品です。

  ・ 色絵獅子牡丹図銚子: 重要文化財。 永青文庫蔵。

     高 16.8cm、胴径 16.3cm、左右径 22.5cm。

  ・ 色絵花鳥図銚子: 東京博物館蔵。

     高 16.8cm、胴径 15.6cm、左右径 21.6cm。

 ? 徳利(酒器): 

  ・ 色絵草花紋瓢形徳利: 東京国立博物館蔵。

     高 19.8cm、胴径 9.0cm、底径 6.3cm。

  ・ 色絵桜川文瓢形徳利: 金沢市立中村記念美術館蔵。

     高 18.0cm、胴径 8.5cm、底径 5.8cm。

  ・ 色絵牡丹獅子文瓢形徳利。

     高 20.5cm、胴径 7.6cm、底径 5.1cm。

  ・ 色絵牡丹文大徳利: 辣韮(らっきょ)形徳利。

     高 34.0cm、口径 5.0cm、胴径 19.0cm、底径 11.9cm。

 ? 台鉢、角皿、中皿、小皿など。

  ?) 台鉢: やや深い平鉢に大きくて高い台を付けたもの。

   ・ 色絵花卉文台鉢: 出光美術館蔵。

      高 10.7cm、口径 28.5cm、高台径 16.6cm、高台高 6.0cm。

   ・ 色絵柳下横臥(おうが)人物文輪花台鉢: 東京国立博物館蔵。

      高 8.8cm、口径 29.5cm、底径 15.5cm。

   ・ 色絵花鳥文輪花台鉢: 石川県立美術館蔵。

      高 11.1cm、口径 29.9cm、高台径 19.6cm。

  ?) 角皿:

   ・ 色絵畦道(あぜみち)文角皿: 重要美術品。

      高 5.3cm、口径 21.0 X 23.2cm、高台径 14.1〜15.9cm。

   ・ 色絵松鷹文九角大皿: 滴翠美術館蔵。

      高 5.3cm、口径 33.8cm、底径 20.3cm。    

   ・ 色絵牡丹双鳥文四方隅切皿:

      高 3.3cm、口径 19.2 X 19.5cm、高台径 12.8 X 12.8cm。    

  ?) 中皿、小皿:

   ・ 色絵石畳鳳凰文隅切中皿:
    
      高 2.7cm、口径 19.0 X 19.1cm、底径 13.5 X 13.5cm。

   ・ 色絵梅鶯文長皿:

      高 3.2cm、口径 9.2 X 19.2cm、高台径 6.1 X 15.5cm。

   ・ 色絵菊流水文分銅形皿: 石川県立美術館蔵。

      高 3.2cm、口径 12.1X 14.6cm、高台径 7.1 X 10.2cm。

5) 古九谷の廃窯。

  古九谷は明暦年間(1655〜1657年)に創業され、元禄八年(1695年)頃廃窯されたとの見方が

  一般的で、約40年間とされています。廃窯の原因には色々の意見がありますが、以下の様な

  理由では無いかと言われています。

  ? 有田産の色絵付の豪華な作品が、比較的安価で大量に加賀藩にも流入する様に成った事。

   1695年に前田藩が有田皿山に、茶碗、皿、鉢などを大量に発注している事からも明らかです。

  ? 絵付けの材料(絵の具)の入手困難に成った為。

    大聖寺藩(前田藩の支藩)は長崎に藩の御買物師を常駐させ、中国より釉や絵具などを

    購入していましたが、有田で自前のコバルトを作り出す事に成功すると共に、中国の色絵

    以上の作品が作られる様になると、日本で売れなくなり中国からの輸入は中止に成ります。

    その為、古九谷で使う材料の入手が困難になり、廃窯に追い込まれます。

  ? 藩の財政的困窮の為。

    従来より言われている理由です。古九谷は大聖寺藩の多大な財政援助の元に、作られた

    焼き物で、藩の援助の縮少は致命的な影響となります。


以上にて「焼き物の着物」の話を終わります。

次回より別のテーマでお話する予定です。

騙しのテクニック1 始めに

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この世界では、人を騙す(だます)事が日常茶飯事に行われています。

振り込め詐欺や未公開株の投資や、捏造事件、偽ブランド、偽チケット、偽のサイトさえあります。

多くの場合、金銭的利益を得るのが目的で行われる場合が多いです。

騙しの世界にも、騙すつもりで騙す悪意のあるものから、騙すつもりは無いが、結果的に騙して

しまったと言う場合があります。

ここで取り上げるテーマは、勿論焼き物に関する事で、古今の骨董的な話が中心になります。

贋作(がんさく)と言えば、昔より古陶磁器の世界に特に多く存在しています。

但し、騙しや詐欺に会わない様にするにはどうしたら良いか、などの心構えなどを話すつもりはなく

あくまでも、技術的な事柄を述べたいと思っています。即ち、どの様な技法や技術を使って本物

らしく見せるのか、どの様にしてそれを見破るのかなどを、述べたいと思います。

◎ 前もってお断りしておきますが、私は骨董に詳しい訳でも無く、いわんや鑑定などした事も

  ありませんので、必ずしも私の経験からの話ではありません。色々の書籍や参考書を見、私

  なりの考えを盛り込む程度ですので、一般的な騙しの話と、本からの子引き孫引きとなります。

1) 生存している現代作家の贋作は、非常に少ないですが、その他の陶磁器には贋作は付き物です

   国や時代を問わず、又安価なものや、小品であっても贋作が作られ、現在でも堂々と流通して

   います。

  ? 贋作(がんさく)と写し(模倣)は違います。

   ?) 縄文土器や、埴輪などを古代色を付けて、本物そっくりに作る事があります。

    「レプリカ」として作った物で、現代作である事を明記していれば、それを販売したと

    してもそれは写しであり、贋作とは言えず詐欺ではありません。この作品を古代に作られた

    発掘品として発表し、販売したり販売目的で保管していれば、これはれっきとした贋作に

    なります。

   ?) 昔の技術を習得する為に、模倣(再現)する場合があります。絵画に於ける模写と

    同じです。中国の古い陶磁器類や、桃山時代の優れた作品の中にも、未だ再現出来ないもの

    があるそうで、その再現に命を掛けている人もいる様です。

    再現出来た物は、再現品として美的価値や経済価値があります。再現出来た方も名誉ある

    行為として賞賛されます。

  ? 美術館や博物館にも贋作らしき物が含まれている場合があります。

    又、書籍や図版などの中にも、贋作らしい物が含まれている場合もある様です。

    当然、収蔵や収録するに当たり、真贋を鑑定し判定しているはずですが・・・

    贋作である場合、資料的価値は有りません。

    但し、貴重品で一般に公開できない作品も多いですので、その場合には「レプリカ」と

    表示した上で、展示している場合が多いです。

2) 贋作の種類。

 ? 始めから贋作として作られた焼き物。

   古い時代に存在していた物の偽物は勿論、現在作家の死亡から数十年後の作品まで、幅が

   広いです。

 ? 半真半贋の焼き物。

   真作を加工して別の形や、絵を付け(後絵)たりした物で、本来の形(姿)からすると

   贋作と言えます。

 ? 贋作ではない贋作。

   流通過程や、伝世する間に、本来の産地や使用目的から逸脱した物で、本来の産地から見ると

   贋作に見えます。

  これらの詳細については、後日お話します。

以下次回に続きます。



騙しのテクニック2 古色付け 1 

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地球上にいる(又は、ある)あらゆる生物や鉱物は、時の経過とともに一定の法則の下で変化して

行きます。これを経年変化(けいねんへんか)と言います。

1) 経年変化。

 ? 経年変化が起きる理由。

  ?) 空気中の酸素に触れ、酸化作用(錆びる事)を受けます。但し酸素は地中や水中にも

    存在しますが、大気中ほど多くはありません。

    身近な例として、鉄に錆び(さび)が発生したり、神社仏閣の銅葺の屋根が緑色に変色

   (酸化)します。古代卑弥呼の時代の鏡も、従来赤銅色であったものが、発掘された時には

    緑青(ろくしょう)を発しています。

  ?) 酸素は地中や水中にも存在します。更に地中には、熱水や塩分、硫黄などの酸が存在し、

    鉱物などに変化を与えます。これを風化といいます。地中に長く放置された陶磁器などの

    発掘物も、風化現象を伴うのが普通です。

    川の中では、水流の力により削り取られ、角が丸くなるなど、変形する事もあります。

  ?) 太陽の光の影響も多く関係しています。特に紫外線は生物に大きな影響を与え、老ける

    原因になります。紙や布なども紫外線の影響を強く受け変色し、場合によっては「ボロボロ」

    に成る場合も多いです。(美術館でストロボ撮影を禁じているのは、この為です)

  ?)微生物の影響。

    微生物は空気中よりも、地中の方が多く存在します。腐敗菌を含む多くの微生物は、地中に

    埋もれた生命体を、時間を掛けて分解し土に戻す働をします。

    又、黴(カビ)や昆虫類も、生命体を食料として増殖し、生命体(有機物)を分解します。

    陶磁器類でも、貫入部分から黴が進入し変色させたり、貫入部を破壊する事もある様です。

  ?) 茶渋が厚く付いた抹茶茶碗や、貫入に汚れが入った物、口縁の割れや直しの痕など

    長い年月使い込まれたと思われる物、これらを使用痕(しようこん)といい、経年変化の

    一つです。

  上記の様に、「古い物は古く見えます」。 原則的に新作物には、これら経年変化を表す物は、

  出現しません。

 ? 同じ作品であっても、どの様にして世間に出現したかによって、古色の経年変化に差がでます

  ?) 伝世品の中には、今窯から出て来たばかりと、見間違える程、経年変化が見られない

    作品もあります。長年大切に扱われ、屋内で保管されていた為、経年変化を逃れた結果です

  ?) 真の発掘品の場合には、「自然風化」が見られます。偽者は、「人工風化」がなされます

     尚、自然風化と人工風化については、後日お話します。

 ? 新作物に、古色を簡単に付ける事が可能です。

   古色を付ける事は、古い物と錯覚を起こさせる為の行為です。その事によりその作品をより

   値打ちの有る様に見せかける事が出来ます。

   又、現代作や贋作を古陶磁器に見せ掛ける溜、骨董の世界では、古色を付ける事は極く普通に

   行われているとの事です。

  ?) 古色を付易い物と、やや付け難い焼き物があります。

     古色は陶磁器本体に後から付けた物ですので、本体によって差が出ます。

   a) 付け易い物として、陶器が上げられます。表面に凹凸が在る物、焼きが甘い物、貫入が

     多い物は、比較的古色が付け易いです。

   b) ?器(せっき)や磁器は比較的付き難いです。

     注: ?器とは、無釉の焼締陶器です。土の色が表面に出て入る為、素地の色なのか、

      古色なのか判別し難いですし、古色を付ける意味も無いかも知れません。

      尚、磁器も高温で焼成されて、貫入はほとんどありません。

  ?) 簡単に見破る事の出来る古色付けと、見分けるのが困難な古色付けがあります。

     これらの詳細は順次お話しする予定です。

2) 古色を付ける方法。

以下次回に続きます。

騙しのテクニック3 古色付け 2 

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2) 発掘品の様な、古色を付ける方法。

 ? 古典的な古色の付け方。

  ?) 紅茶など、古代色に近い色の液体に漬け、煮しめる事により貫入部分に染込ませて色付け

    します。

  ?) 作品を松や杉の葉などの煙で燻す(いぶす)事で、煙の成分や煙に含まれる脂(ヤニ)を

    作品に染込ませる。

  ?) サンドペーパー(紙ヤスリ)で表面を擦り、自然に釉が風化した様に見せる。

    発掘品は多かれ少なかれ、必ず風化が見られます。風化の種類は、表面の釉が「ガサガサ」

    になり、部分的に釉が剥がれている場合もあります。紙ヤスリでその様な風化に見せ掛け

    ます。その他の風化には、銀化や金化を呈する場合もあります。

    銀化、金化に付いては後日お話します。

  ?) 染み(しみ)や汚れを付ける。泥や土を擦り付ける事で古色をつけますが、水洗いなどの

    意外と簡単方法で、取り去る事も可能な、初歩的な方法の場合もあります。

  ?) 土銹(どしゅう)を付ける。

    土銹とは、数百〜数千年の間、地中に埋もれていた物には、土の成分と鉄分が一緒に

    なって、作品にこびりつきます。これを土銹といいます。

    意図的に土に接着材やセメント類と鉄分を混ぜ、作品にくっ付ける事で、土銹の様に見せ

    掛けます。

    又、弗化水素で表面を荒し、更に数ヶ月〜数年間土に埋め込み、発掘品の様に見せ掛けます

 ? 人工的に風化を作り出す。

   焼き物の風化は、主に釉に起こる現象ですので、備前焼の様な焼締陶器には起こり難い

   現象です。

  ?) 自然な風化では、次の様な表情を呈します。

   a) 表面が白っぽく見えたり、粉を噴いた様に見えます。釉の表面が侵され極く小さな円形の

    穴が散らばって見られます。又は、穴が連続的に現れる場合もあります。

   b) 表面に艶があるが、釉の内部に空洞が出ている溜、表面が白っぽくなっています。

   c) 口縁部や稜(角)部などに、赤茶けた銹さび)の様なものが出現します。

     この部分が特に酸化が進み、鉄分などが浸み込んでいます。

   d) 作品の表面が金、銀、虹色に輝く。

     風化より、釉の中に空洞が広がり、光が乱反射する為に起こると言われています。

   e) 貫入に沿って小さな亀裂が続き、所々に火花の様な細かい亀裂が広がります。

   f) 釉の一部が剥がれ落ちている。釉の中の空洞に水が浸み込み、水が膨張する事で釉が

     素地から、剥がれます。

   g) 海上がりの作品には、長年海中に有った為、「フジツボ」、「牡蠣(かき)」などの

     生物が付着している事も多いです。これらは、酢酸(お酢)に浸しておけば、綺麗に

     取り除く事ができます。

   尚、焼成温度が低く、釉が熔けきらず艶消し状態の場合には、当然風化では有りません。

   同様の物に、マット(艶消し)釉の焼きが甘い場合も、風化と見間違い易い様です。

  ?) 人工的に風化状態を作り出す方法。

    a) 弗化(フッカ)水素などの薬品で、釉の表面に「ザラつき」を付ける。

      弗化水素は釉の成分の珪酸分を溶かしますので、薬品に浸して使用します。

    b) 以前は、作品全体に「ザラつき」を付けた方法が取られたものが多かった様ですが、

      現在では、より巧妙になり部分的に風化状態を作りだす事が多く成っています。

    c) 人工的に銀化を作る。薬品の他に、真珠光沢のある塗料や釉を使い、塗ったり吹き付け

      たりして、発掘品の様に見せます。

 3) 伝世品の経年変化。

以下次回に続きます。     

    

騙しのテクニック4 古色付け 3 

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3) 伝世品の経年変化

 ? 発掘品と伝世品では、経年変化に差があります。

  発掘品の多くは、窯場近くのゴミ捨て場の物原や、住居跡、墳墓から出土した物が多いです。

  又、沈没船からの海上り品なども、長い間人の目に触れずに存在していました。一方伝世品は、

  代々人が管理し、大切に保管されていますが、多くの場合、実際に使用していたと思われます。

  それ故、発掘品とは異なる伝世品特有の経年変化が有ります。

 ? 伝世品の経年変化の特徴。

  ?) 擦れ(スレ)と擦傷(すりきず): 伝世品には使用痕である「擦れや擦傷」が、大なり

    小なり有るのが普通です。陶器は磁器に比べ弱い為「擦れや擦傷」は多くなります。

   a) スレとは物と物が当たり擦れて、その痕跡が残る事です。当然擦れる回数が多い程、

    痕(あと)は多く顕著になります。日常使用する食器類や厨房用具など、手に持って移動

    する作品に多く見られ、持ち運びが少ない香炉や花瓶、置物(飾り物)などには少ないです

    スレの起き易い場所は、作品に応じて違いがあります。一般に口縁部、高台周辺、突出した

    胴部に多く見られます。抹茶々碗を例に取れば、茶筅あ8ちゃせん)が当たる「茶筅擦り」

    部、口縁部を茶巾(ちゃきん)で拭く「茶巾擦り」、高台の「畳付き」部などに多くみられ

    ます。

    ・ 国宝の耀変天目の見込み部の拡大写真を見ると、茶筅の痕がハッキリ見て取れますので、

      実際に使われた事が判ります。

   b) 口縁部などの角にスレが発生すると、釉が摩滅し素地(胎土)が露出する場合があります

     釉面が擦れる事により、やや白濁し艶が無くなる事があります。この場合染付けなどの

     下絵付けがされた作品では、絵付の色が薄くなった様に見えます。

     又、上絵付された作品では、絵が落ちて仕舞います。

   c) 擦傷とは、強く擦れたり、作品同士の衝突などの結果、線状の傷が出来る事です。

     擦傷の最大の原因は、水で洗う事だそうです。昔は、ほとんどの場合、井戸水や川の水で

     洗う事が多く、微細な砂が含まれる事もあった様です。その結果擦傷が発生します。

   d) 人為的に「擦れや擦傷」を付ける。

     贋作や新陶磁器の表面に故意に、「擦れや擦傷」を付ける事で、古陶磁に見せ掛けます。

    ・ 紙ヤスリ(サンドペーパー)や砥石(といし)などを用いて、釉の表面に傷を付ける

      方法です。

    ・ 自然に出来た「擦れや擦傷」は変化に富んでいますが、人為的なものは。単調な傷と

      成っている場合が多いです。

    ・ 意図的な「擦れや擦傷」の種類

     イ) 本来あるべき口縁や角に無く、スレが発生し難い面などに傷がある物。

     ロ) 擦傷が同一方向に、同じ調子で何本も入っている物。自然な物は、長い年月を掛

       けて、色々な方向や、強弱のある力で傷が入りますので、太さや長さ深さなど複雑な

       擦傷になります。

     ハ) 弗化(フッカ)水素や、目の細かい紙ヤスリ(1500番以上)を用いて釉の艶消し

       を行った物です。

     ニ) 作品の表面に均一に発生した「擦れと擦傷」も人為的に付けた可能性が大きいです

    e) 「擦れや擦傷」は、斜め方向から光を当てると、よりハッキリとした形が見えます。

   ?) ホツとニュウに付いて。

以下次回に続きます。

 参考資料: 出川直樹著 「古陶磁、真贋鑑定と鑑賞」 講談社発行。

騙しのテクニック5 古色付け 4 

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3) 伝世品の経年変化

 ? 発掘品と伝世品では、経年変化に差があります。

 ? 伝世品の経年変化の特徴。

  ?) ホツとニュウに付いて。

   a) ホツとは「欠け」の小さな物の事です。ニュウとは「ヒビ」の事です。

    但し、「ニュウ」は釉と胎土の両方に入った「ヒビ」で裏側まで達している状態です。

    古陶磁にはホツとニュウがある物が多く、茶陶では漆などで補修する場合が多いです。

    金継(金直し)も良く行われる補修方法です。

   b) 「欠け」や「ニュウ」などの傷が何時頃出来たかは、「欠け」の断面や「ニュウ」の色の

    濃さなどで判断できます。即ち、「欠け」の周囲の角が丸みを帯びている場合や、胎土が

    黒く変色している場合は、「欠け」てからの時間が長い事になります。

    「ニュウ」の入った部分の色が周囲より濃い場合には、時間が経過している事を表し、

    さほど周囲の色と違いが無く淡い色の場合は、比較的新しいです。

    但し、同時に複数個の「ニュウ」が入った場合でも、「ニュウ」が太い程濃い色になり、

    細い程淡く見えます。

  c) 「時代ニュウ」に付いて。

    長年の使用で加熱冷却を繰り返し、膨張収縮を繰り返した結果、素地内部の応力により、

    「ニュウ」が入る現象です。 唐津、萩、井戸茶碗などに、比較的多く現れます。

    「人工的ニュウ」が直線的で一気に起こったのに対し、蛇行して少しずつ延びた様子が

     伺えます。著名な作品に「小井戸茶碗 銘 六地蔵(泉屋博古館蔵)」や「老僧井戸」

     などがあり、十数本の「ニュウ」が口縁から平行に下に向かって延びていますが、一定の

     所で止まっています。

  d) 人工的に「欠け」を作り、古色付けする場合があります。

    一般に、欠けやニュウがある事は、マイナスに評価されます。しかし実際には以下の事例が

    ある様です。完品の信楽の大壷が中々買い手が付かないので、店主が故意に口縁を欠いて

    店頭に並べたら、直ぐに売れたそうです。

    又、新陶の抹茶々碗の口縁の一部を故意に欠き、漆で接着し金継で補修して古陶に見せ掛

    ける場合もある様です。逆に、無傷の作品に、金継を施しあたかも補修した様に見せかける

    事もあります。 金継前の状態を確認する為、補修部分を取り除いたら、無傷であった事が

    判明した例も有った様です。

    尚、金継が施された著名な抹茶々碗に、重要文化財の楽茶碗 銘「雪峯(せっぽう)」

    畠山美術館蔵、があります。

  e) 人工的に「ニュウ」を付ける。

    「欠け」を作る事は比較的容易ですが、「ニュウ」を作るのは比較的困難な様です。

    但し、先の細い木槌などで、口縁部を連続的に叩くと、徐々にひび(ニュウ)を入れる

    事が可能よ様ですが、磁器では無理のようです。「ニュウ」の断面に古色を付ける為、

    土を擦り込んだり、紅茶などを流し込む場合もある様です。

  f) 「ニュウ」は傷ですが「貫入」と「地貫入」は傷では有りません。

   ・ 貫入(かんにゅう)は、釉層にのみに細かい「ヒビ」 が入る現象です。

    釉と胎土との収縮差が原因で、一般に陶器に見られる現象です。窯出の際にあるもの、

    窯出し後冷える間に発生するもの、長年使用していると自然に発生するものと三種類あり

    ます。

   ・ 「地貫入」とは、数本の長い「ヒビ」が釉の表面を走る現象で、「貫入」が器全体に

    広がるのとは、区別されます。「貫入」が口縁から入るのに対し、「地貫入」釉層が薄い

    口縁部まで延びていない事が多いです。

   ・ いずれも、永い使用で色素が沈着し古陶の味わいを醸し出しています。

     当然、これの効果を狙った、贋作も多いです。

  ?) 汚れと染みについて。

以下次回に続きます。

        

    

騙しのテクニック6 古色付け 5 

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3) 伝世品の経年変化

 ? 伝世品の経年変化の特徴。

  ?) 汚れと染み(しみ)について。

    伝世品には必づと言って良い程、染みと貫入の汚れ、地肌や釉面の色付き、場合に

    よっては、雨漏りと呼ばれる汚れ(よごれ)が有ります。但し磁器製品には少なく、陶器

    で多く見られる現象です。

   a) 汚れの種類。

    イ) 茶渋は、湯呑みや抹茶々碗に多く見れれますが、漂白剤などの洗剤を使い、比較的

      容易に、取り除く事が可能です。

    ロ) 油汚れは、油入に使われていた器を、徳利などの容器として使用した場合に起こり

      ます。 この場合、漂白剤では完全に取り除く事は出来ません。例え一時的に匂いが

      消えた様に見えても、お燗(かん)をすると、再び臭う物です。

    ハ) 雨漏り(あまもり)は、不定形の染みで、釉だけでなく胎土を通して表面まで出て

      きた汚れです。特に萩茶碗の様に、砂気を含む胎土や、焼きの甘い作品など吸水性に

      富んだ作品に多く出る現象です。雨漏りは、長く使う事で徐々に現れます。

      雨漏りは「景色」の一部と見なされ、雨漏りの無い粉引きは、つまらない物と言う人も

      います。

      又、白化粧土は胎土より、色が染み易い為、粉引、刷毛目、三島などの作品に染みや

      雨漏りが発生し易いです。

    ニ) 経年変化により、器全体が変色する。

      細かい貫入全体に汚れが入ると、器全体の色が濃くなった様に見えてきます。

  b) 人為的に、汚れや染みを付ける。

     古く見える物が、必ずしも古い物とは限りません。むしろ、古く見える物ほど人為的な

     方法で処理した物で、本当に古い物はそれ程古くは見えない(古さを感じさせない)と

     言われています。

   イ) 濃い紅茶や煎茶の中に一週間も漬けておくだけで、数十年〜数百年分の古色を付ける

     事が可能との事です。

   ロ) 茶渋を付ける方法に、透明な漆(うるし)を見込み部や茶巾擦り部に薄っすらと

     塗る方法があります。一般に茶渋は漂白剤で取り除けますが、漆では簡単に除去する

     事は出来ません。

   ニ) 雨漏りを付ける方法は、頻繁に使い込む事です。粉引茶碗などは、三年も使い込めば

      雨漏り状態を作り出せる場合があります。当然、胎土の違い、焼きの甘さ、化粧土の

      濃さと厚みなどによって差がでます。但し三年程度では、表面の化粧土には汚れが浸透

      しますが、胎土までは浸透しない為、自然の雨漏りとは、見た目で異なるそうです。

  c) 古色は、「新古や真偽の決め手」に成りません。

    古色は一般の人が思うほど以上に、簡単に付ける事ができます。

    茶渋などは、濡れた布で拭けば取れ易いですし、貫入の汚れや染みは漂白剤で取り除けます

    自然風化に見せかけるには、紙ヤスリで削ったり、弗化(フッカ)水素などの薬品で

    「カセ」を作り出す事が可能です。その他、煙で燻したり、土を擦り込めたりして、簡単に

    古色を付ける事が出来ます。それ故、古色に惑わされない事です。

4) 二度焼(二度窯、再焼成)に付いて。

以下次回に続きます。
      
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