中国元朝(1206〜1368年)末期の景徳鎮で、染付磁器が完成されたと言われています。
染付は、コバルトによる藍色の下絵付の技法です。景徳鎮の染付磁器以前に、白と藍色との対比の
美は、ペルシャ陶器や唐の陶器で見られます。
尚、中国などの染付の贋作に付いては、後日お話する予定です。
1) 我が国の染付磁器。
? 秀吉の、朝鮮出兵(文禄、慶長の役)以前には、磁器は主に中国や朝鮮から輸入されていま
した。朝鮮出兵は秀吉の死によって、幕を閉じますが、出兵した九州各地の大名達に従い、
多くの朝鮮人の陶工が渡来(拉致)し、帰化する事になります。
? 李朝工人の李参平が、現在の有田町東南の泉山にて、白磁土を発見し、磁器製造に成功するの
が1605年頃と言い伝えられています。
? その後の磁器製法技術の発展は目覚しく、古伊万里や、色絵の柿右衛門様式、鍋島様式を
生み出します。更に、有田で焼かれた磁器は、伊万里港より積み出され、伊万里焼と呼ばれ、
日本以外の広くヨーロッパにまで、輸出される様になります。
? 寛永〜寛文頃(1624〜1673年)までの初期伊万里を言い、古伊万里とも呼びます。
?) 古伊万里は、ほとんどが染付磁器です。その他に、白磁、青磁、鉄釉の作品もあります。
?) 作品の種類は、秋草文や網目文の小壷類、皿類、徳利などが多いです。
古伊万里焼は陶片であっても人気が高く、本物であれば、高値で取引されているとの
事です。当然、贋作も多く存在します。
?) 絵柄や意匠には、李朝の影響が強く認められますが、次第に、中国の景徳鎮の古染付の
影響が大きく成って行きます。代表的な染付である、吹墨の技法も、古染付の手法の
一つです。
注: 吹墨(ふくすみ)とは、型紙を作品の上に置き、呉須を吹き付けて、模様を浮き
上がらせる技法です。
?) 施釉方法は、素焼きをしない、生掛け方法ですので、釉肌に潤いが有ると言われて
います。又、釉が「むら」に成る場合もあり、これも一つの特徴です。
?) 中国より、陶磁の技法が導入されると、古伊万里は量産化が進みます。
中国の影響は、明(1138〜1368年)の様式から、次第に和様化し、装飾過度と思われる程に
行きます。
2) 古伊万里の贋作。
全国の古美術店や骨董店には、伊万里焼の無い店はほとんど存在しません。
それ故、贋作の量も多く存在します。この時期の作品は、素朴な作風で、規格化されていない為
写し易い作品も多く存在します。
? 初期の生掛けの特徴を生かした贋作。
油壷、吹墨の中皿、徳利、地図皿などが多いです。特に吹墨による「月と兎図」の贋作は
多いです。
? 上記作品類では、染付け色に深みが無く、素地が滑らか過ぎて「つるり」とした感じに
成ります。その他、器肌に白っぽい粉が吹き出している物や、無釉の畳付き部分が細かい
粒子の土で、「すべすべ」した物など古い感じの無い物も、贋作の可能性もあります。
? 二度焼(窯)の古伊万里: 平凡な白磁に後絵で文様を描き、再度焼成した物です。
? 明治頃制作された、伊万里染付の贋作が、「古伊万里」として流通しています。
更に、砥部焼の伊万里写しの作品も多く存在します。特に地図を描いた皿などには、贋作が
多いようです。
? 古伊万里焼風の作品は、伊万里以外の地でも作られています。(当然贋作として作られた
訳では有りませんが、贋作として紛れ込む場合もあります。)
江戸幕末近くに成ると、有田が独占していた技術が他の藩に知れ渡る様になります。
?) 加賀の「若杉」の銘のある古伊万里風の作品。
?) 平戸焼染付磁器。伊万里焼とは若干作風や絵付けが異なりますが、伊万里焼と同じ
様な作品も存在します。
?) その他の染付。
a) 各地の御用窯の染付: 各藩の厳しい管理の下、制作されている為、様式や品質面で
安定した作品が多いです。
能茶山(のうさやま)焼: 土佐二代藩主 山内忠義侯が、現在の高知市 鴨部 能茶山の
裾野に、国内産業振興の一環として焼かせた物。承応2年(1653年)頃
姫谷(ひめたに)焼: 備後福山藩国広瀬村姫谷(現・広島県福山市加茂町百 谷)で
江戸時代(17世紀)に制作されていた色絵陶磁器。
湖東(ことう)焼: 江戸 時代中期の彦根藩井伊掃部頭家(現・彦根市域)で生産され
始めた焼き物です。
b) 各地の染付雑器: 伊万里焼を手本として焼かれた染付雑器です。当初は伊万里風
ですが、次第に各地の染付が作られる様になります。
三田(さんだ)焼: 現在の兵庫県三田市。
切込(きりこめ)焼: 現在の宮城県加美郡加美町。
? 景徳鎮磁器と混同し易い。
初期伊万里は、明代末の景徳鎮磁器を手本にしています。その為、よく似た作品が有るのは
当然と言えます。景徳鎮磁器との違いは以下の事柄と言われています。
?) 景徳鎮磁器の方が、薄造りである事が多いです。
?) 景徳鎮には、虫食いの物が多いです。
以下次回に続きます。
染付は、コバルトによる藍色の下絵付の技法です。景徳鎮の染付磁器以前に、白と藍色との対比の
美は、ペルシャ陶器や唐の陶器で見られます。
尚、中国などの染付の贋作に付いては、後日お話する予定です。
1) 我が国の染付磁器。
? 秀吉の、朝鮮出兵(文禄、慶長の役)以前には、磁器は主に中国や朝鮮から輸入されていま
した。朝鮮出兵は秀吉の死によって、幕を閉じますが、出兵した九州各地の大名達に従い、
多くの朝鮮人の陶工が渡来(拉致)し、帰化する事になります。
? 李朝工人の李参平が、現在の有田町東南の泉山にて、白磁土を発見し、磁器製造に成功するの
が1605年頃と言い伝えられています。
? その後の磁器製法技術の発展は目覚しく、古伊万里や、色絵の柿右衛門様式、鍋島様式を
生み出します。更に、有田で焼かれた磁器は、伊万里港より積み出され、伊万里焼と呼ばれ、
日本以外の広くヨーロッパにまで、輸出される様になります。
? 寛永〜寛文頃(1624〜1673年)までの初期伊万里を言い、古伊万里とも呼びます。
?) 古伊万里は、ほとんどが染付磁器です。その他に、白磁、青磁、鉄釉の作品もあります。
?) 作品の種類は、秋草文や網目文の小壷類、皿類、徳利などが多いです。
古伊万里焼は陶片であっても人気が高く、本物であれば、高値で取引されているとの
事です。当然、贋作も多く存在します。
?) 絵柄や意匠には、李朝の影響が強く認められますが、次第に、中国の景徳鎮の古染付の
影響が大きく成って行きます。代表的な染付である、吹墨の技法も、古染付の手法の
一つです。
注: 吹墨(ふくすみ)とは、型紙を作品の上に置き、呉須を吹き付けて、模様を浮き
上がらせる技法です。
?) 施釉方法は、素焼きをしない、生掛け方法ですので、釉肌に潤いが有ると言われて
います。又、釉が「むら」に成る場合もあり、これも一つの特徴です。
?) 中国より、陶磁の技法が導入されると、古伊万里は量産化が進みます。
中国の影響は、明(1138〜1368年)の様式から、次第に和様化し、装飾過度と思われる程に
行きます。
2) 古伊万里の贋作。
全国の古美術店や骨董店には、伊万里焼の無い店はほとんど存在しません。
それ故、贋作の量も多く存在します。この時期の作品は、素朴な作風で、規格化されていない為
写し易い作品も多く存在します。
? 初期の生掛けの特徴を生かした贋作。
油壷、吹墨の中皿、徳利、地図皿などが多いです。特に吹墨による「月と兎図」の贋作は
多いです。
? 上記作品類では、染付け色に深みが無く、素地が滑らか過ぎて「つるり」とした感じに
成ります。その他、器肌に白っぽい粉が吹き出している物や、無釉の畳付き部分が細かい
粒子の土で、「すべすべ」した物など古い感じの無い物も、贋作の可能性もあります。
? 二度焼(窯)の古伊万里: 平凡な白磁に後絵で文様を描き、再度焼成した物です。
? 明治頃制作された、伊万里染付の贋作が、「古伊万里」として流通しています。
更に、砥部焼の伊万里写しの作品も多く存在します。特に地図を描いた皿などには、贋作が
多いようです。
? 古伊万里焼風の作品は、伊万里以外の地でも作られています。(当然贋作として作られた
訳では有りませんが、贋作として紛れ込む場合もあります。)
江戸幕末近くに成ると、有田が独占していた技術が他の藩に知れ渡る様になります。
?) 加賀の「若杉」の銘のある古伊万里風の作品。
?) 平戸焼染付磁器。伊万里焼とは若干作風や絵付けが異なりますが、伊万里焼と同じ
様な作品も存在します。
?) その他の染付。
a) 各地の御用窯の染付: 各藩の厳しい管理の下、制作されている為、様式や品質面で
安定した作品が多いです。
能茶山(のうさやま)焼: 土佐二代藩主 山内忠義侯が、現在の高知市 鴨部 能茶山の
裾野に、国内産業振興の一環として焼かせた物。承応2年(1653年)頃
姫谷(ひめたに)焼: 備後福山藩国広瀬村姫谷(現・広島県福山市加茂町百 谷)で
江戸時代(17世紀)に制作されていた色絵陶磁器。
湖東(ことう)焼: 江戸 時代中期の彦根藩井伊掃部頭家(現・彦根市域)で生産され
始めた焼き物です。
b) 各地の染付雑器: 伊万里焼を手本として焼かれた染付雑器です。当初は伊万里風
ですが、次第に各地の染付が作られる様になります。
三田(さんだ)焼: 現在の兵庫県三田市。
切込(きりこめ)焼: 現在の宮城県加美郡加美町。
? 景徳鎮磁器と混同し易い。
初期伊万里は、明代末の景徳鎮磁器を手本にしています。その為、よく似た作品が有るのは
当然と言えます。景徳鎮磁器との違いは以下の事柄と言われています。
?) 景徳鎮磁器の方が、薄造りである事が多いです。
?) 景徳鎮には、虫食いの物が多いです。
以下次回に続きます。