唐津焼きの種類は、斑唐津、朝鮮唐津、絵唐津の他に幾つかの焼き物があります。
1) 黒唐津: 黒い釉肌の唐津焼を言います。この方法には二つ方法があります。
? 濃い飴釉の掛かった物: 釉に酸化鉄が含まれる為、酸化焔で焼成すると茶色〜黒色の釉肌に
成ります。
? 灰黒色の釉肌になる物: 蛇蠍(じゃかつ)唐津と呼ぶ場合もあります。
上記濃い飴釉を掛けた上に、長石釉を掛ける事により、茶色に成るのを防ぐ目的で使用します。
その為、黒い肌の上に白っぽい釉が載っています。更に、長石釉が濃い場合には、鼠志野風に
なります。その場合長石釉が縮れ粒状になり、「蛇のうろこ状態」になったものを、蛇蠍唐津と
呼びます。 黒唐津茶碗。黒唐津茶碗 銘 あさぎ。黒唐津白線文茶碗などがあります。
2) 三島唐津、刷毛目唐津、粉引(こひき)唐津:
? 三島とは、赤黒土の表面を白化粧する事で表面を白くし、更にその上に、印花や花文、桧垣文
などの印を捺し、透明な灰釉を掛ける装飾技法です。
李朝前期の象嵌(ぞうがん)技法を取り入れたと言われています。
? 刷毛目唐津とは、白化粧土を刷毛塗りする事で、刷毛の通った痕が残り、模様となります。
更に、白化粧土の上を釘や櫛などで引っ掻いて、地肌を浮き出し文様にする方法もあります。
? 粉引唐津: 白化粧土を「浸し漬け」や「流し掛け」で全体を塗り唐津釉を掛けた焼き物です
? 作品としては、三島唐津茶碗。三島唐津耳付水指などです。
3) 備前唐津: 赤土を叩き締めた上に、灰釉を薄く掛ける事により、錆びた色と歪んだ形が
備前茶陶風に焼きあがった物です。 備前唐津平水指など。
4) 瀬戸唐津: 瀬戸焼きに似た唐津焼きの意味です。尚瀬戸とは、志野や絵瀬戸の類をいいます
即ち、志野の百草(もぐさ)土の様な砂目のある白い土に、白い長石釉を掛けたもので、
釉の縮れ具合が、あたかも志野風です。小堀遠州好みに作らせたと思われています。
? 深めの碗形をした本手瀬戸唐津と、皮鯨(かわくじら)手瀬戸唐津があります。
? 皮鯨とは、白い肌に黒い細い筋が皮鯨(鯨の表皮)に似ている事からの呼び名です。
? 作品として、瀬戸唐津茶碗 銘葉山。瀬戸唐津皮鯨(かわくじら)茶碗 滴翠美術館蔵。
唐津皮鯨 ぐいのみ などがあります。
5) 二彩唐津: 刷毛目地に鉄絵の茶色と、胆礬(タンパン=硫酸銅)の緑の二色で色付けされた
焼き物です。赤土の素地を白化粧する事により、鉄絵の茶色と胆礬の緑がより鮮明に発色
します。松の絵が描かれた大皿(直径28cm)が有名ですが、竹、梅、山水なども描かれて
います。
◎ 古唐津焼の衰退。
1) 16世紀末から江戸初期に掛けて、爆発的に発展していた唐津焼きでしたが、1597年に渡来
した李参平によって有田川上流の泉山(いずみやま)で、磁器の材料の陶石を発見されます。
1616年に彼ら一族は泉山に近い上白川天狗谷で白磁の生産を開始します。
この事は古唐津を焼いていた窯場に大きな衝撃を与える事になります。
(有田焼きに関しては、後日お話する予定です。)
2) 白くて硬質で堅牢な磁器は、急速に普及する事になります。唐津の陶工達も有田へ移住
する様になります。その結果、唐津以外の窯場でも陶器は見捨てられる様になります。
有田が栄え、唐津は衰退の道を辿る事に成ります。
3) 但し、唐津でも刷毛目や二彩唐津等の一部は生き残りますが、日用雑貨を焼く地方窯と
後退して行きます。
以上で、古唐津の話を終わります。
次回より「上野と高取焼」に付いてお話します。
1) 黒唐津: 黒い釉肌の唐津焼を言います。この方法には二つ方法があります。
? 濃い飴釉の掛かった物: 釉に酸化鉄が含まれる為、酸化焔で焼成すると茶色〜黒色の釉肌に
成ります。
? 灰黒色の釉肌になる物: 蛇蠍(じゃかつ)唐津と呼ぶ場合もあります。
上記濃い飴釉を掛けた上に、長石釉を掛ける事により、茶色に成るのを防ぐ目的で使用します。
その為、黒い肌の上に白っぽい釉が載っています。更に、長石釉が濃い場合には、鼠志野風に
なります。その場合長石釉が縮れ粒状になり、「蛇のうろこ状態」になったものを、蛇蠍唐津と
呼びます。 黒唐津茶碗。黒唐津茶碗 銘 あさぎ。黒唐津白線文茶碗などがあります。
2) 三島唐津、刷毛目唐津、粉引(こひき)唐津:
? 三島とは、赤黒土の表面を白化粧する事で表面を白くし、更にその上に、印花や花文、桧垣文
などの印を捺し、透明な灰釉を掛ける装飾技法です。
李朝前期の象嵌(ぞうがん)技法を取り入れたと言われています。
? 刷毛目唐津とは、白化粧土を刷毛塗りする事で、刷毛の通った痕が残り、模様となります。
更に、白化粧土の上を釘や櫛などで引っ掻いて、地肌を浮き出し文様にする方法もあります。
? 粉引唐津: 白化粧土を「浸し漬け」や「流し掛け」で全体を塗り唐津釉を掛けた焼き物です
? 作品としては、三島唐津茶碗。三島唐津耳付水指などです。
3) 備前唐津: 赤土を叩き締めた上に、灰釉を薄く掛ける事により、錆びた色と歪んだ形が
備前茶陶風に焼きあがった物です。 備前唐津平水指など。
4) 瀬戸唐津: 瀬戸焼きに似た唐津焼きの意味です。尚瀬戸とは、志野や絵瀬戸の類をいいます
即ち、志野の百草(もぐさ)土の様な砂目のある白い土に、白い長石釉を掛けたもので、
釉の縮れ具合が、あたかも志野風です。小堀遠州好みに作らせたと思われています。
? 深めの碗形をした本手瀬戸唐津と、皮鯨(かわくじら)手瀬戸唐津があります。
? 皮鯨とは、白い肌に黒い細い筋が皮鯨(鯨の表皮)に似ている事からの呼び名です。
? 作品として、瀬戸唐津茶碗 銘葉山。瀬戸唐津皮鯨(かわくじら)茶碗 滴翠美術館蔵。
唐津皮鯨 ぐいのみ などがあります。
5) 二彩唐津: 刷毛目地に鉄絵の茶色と、胆礬(タンパン=硫酸銅)の緑の二色で色付けされた
焼き物です。赤土の素地を白化粧する事により、鉄絵の茶色と胆礬の緑がより鮮明に発色
します。松の絵が描かれた大皿(直径28cm)が有名ですが、竹、梅、山水なども描かれて
います。
◎ 古唐津焼の衰退。
1) 16世紀末から江戸初期に掛けて、爆発的に発展していた唐津焼きでしたが、1597年に渡来
した李参平によって有田川上流の泉山(いずみやま)で、磁器の材料の陶石を発見されます。
1616年に彼ら一族は泉山に近い上白川天狗谷で白磁の生産を開始します。
この事は古唐津を焼いていた窯場に大きな衝撃を与える事になります。
(有田焼きに関しては、後日お話する予定です。)
2) 白くて硬質で堅牢な磁器は、急速に普及する事になります。唐津の陶工達も有田へ移住
する様になります。その結果、唐津以外の窯場でも陶器は見捨てられる様になります。
有田が栄え、唐津は衰退の道を辿る事に成ります。
3) 但し、唐津でも刷毛目や二彩唐津等の一部は生き残りますが、日用雑貨を焼く地方窯と
後退して行きます。
以上で、古唐津の話を終わります。
次回より「上野と高取焼」に付いてお話します。