? 埴輪の種類:
?) 家や器材の埴輪
?) 人物や動物の埴輪。
尚、?)と?)を合わせて「形象埴輪」と言う事もあります。
形象埴輪からは、古墳時代当時の衣服・髪型・武具・農具・建築様式などを知る事ができます。
?) 家や器財の埴輪: 前回の続きです。
c) 家形埴輪: 円筒埴輪や盾や太刀などの武具に守られた内側に、家形埴輪が置かれて
います。 この家は死者の霊魂が住む場所として、提供されていると見るのが妥当です。
家の屋根に多数の小孔があり、常緑樹の枝を挿す為のものと言われています。
即ち、常緑樹の小枝には、神霊や霊魂が寄り付く目印になり、死者の霊を招く働きがあると
考えられています。
イ) 形象埴輪の中でも、家形埴輪は最初に出現する埴輪です。
古墳の埋葬施設の真上に置かれ、初期の頃は大型な埴輪が一個で有ったものが、次第に
数を増す様になります。数多く置く事でより完全に魂を呼ぶ事が出来ると、考えた結果では
ないかと言われています。古墳によっては10個以上配置された物もあります。
ロ) 群馬県赤堀村茶臼山古墳は、5世紀中期の古墳ですが、注目すべき家形埴輪が出土し
ます。 切妻造の家が3軒、倉が4軒、納屋が1軒の計8軒が出土します。
切妻造の家には、丹彩の痕跡が認められます。丹(に、又はたん)は単に装飾的意味の他に
邪霊を防ぐ色で、呪力があると考えられ、埋葬や祭りの際に多く使われいます。
注: 丹とは縄文、弥生、古墳時代に使われた赤色顔料で、主に酸化鉄(べんがら)や水銀朱
(硫化水銀、辰砂)ですが、古墳時代になると水銀朱が多く使われます。
この家々で、一つの屋敷を構成する配置になっています。即ち切妻の母屋を一番奥に置き、
その左右に副家を、納屋を母屋の裏側にし、倉は母屋と副家の側面に配置されていました。
これらは、埋葬された豪族の屋敷を再現したものと、言われています。
ハ) 家形埴輪の大きさは、意外と大きく50cm以上の高さの物も珍しくありません。
奈良県石見遺跡からは、高さが115cmの物も出土しています。
家の構造も、切妻造、入母屋(いりもや)造、四注造(しちゅうつくり)などがあります。
切妻や入母屋は現在の家の形に似ています。四注造は、寄棟造とも呼ばれ、上から見ると
真四角形で、屋根が四方に延びた形をしています。
ニ) 家形埴輪の衰退。
5世紀中期頃から、埋葬方法に大きな変化が現れます。即ち、竪穴式から横穴式石室へと
推移して行きます。この変化は葬送葬礼の場所が変わる事に成ります。
竪穴式では墳丘部や墳丘外で行われていた物が、石室入り口近くに移動する事に成ります
更に、石室の形や石棺が家形をとる様になると、家形埴輪はこれらに吸収され、やがて
消滅していきます。
d) 椅子や高坏(たかつき)などの器財埴輪。
家形埴輪の傍には、霊魂を招き寄せる為の食物献供がなされます。その為、豪華な高坏や
大きな(幅67cm)椅子が置かれたものと思われます。
?) 人物や動物の埴輪。
以下次回に続きます。