5) 須恵器の種類。
? 日常的に使う須恵器の種類。
8世紀の奈良平城京から出土する食器類は、土師器が圧倒的に多く、須恵器は1〜2割程度と
言われています。食器の値段に余り差が無いにも関わらず、土師器の方が多く用いられている
理由ははっきりしていません。土師器の方が、使い勝手が良いのでは?と言う意見もあります。
奈良での食器類は、須恵器と土師器が共存していた様です。
?) その他の須恵器。
a) 皮袋形瓶(かわぶくろかたへい): 皮袋を模した形で、液体を入れる容器です。
高さは10〜15cm程度です。底が平らで、円錐状の真上に壷の口の様な形の注ぎ口が
付いています。皮を繋ぎ合わせた縫い目もリアルに再現されています。
東海地方から九州まで広く分布しています。6〜7世紀の作品です。
b) 環状瓶: ドーナツ形の器を縦に使い、頸をつけます。脚を付けた物もあります。
6〜7世紀の備後(びんご)を中心に出土します。 この形は現在の陶芸でも良く見る形です。
c) 角坏形瓶: 牛の角(つの)を想像させる坏です。長さが17〜18cm位で、形状から見て、
下(床)に置けないと思われます。常に手に持っているか、中の液体を飲み干す必要が有り
そうです。現在でもこれに類する坏が九州熊本にあるそうで、焼酎を飲む際使用します。
6) 須恵器の終焉。
10世紀に入ると畿内の須恵器生産は衰退して行きます。その後を埋めたのが、木製容器です。
木製容器は曲物(まげもの)や挽物(ひきもの)と呼ばれ生産が急激に増えます。
但し、東北地方や辺境の地では、須恵器の生産は平安末期までしぶとく生き残ります。
?) 焼き物の世界では、須恵器の後に続くのは、意外にも土師器に連なる焼き物でした。
土師器の欠点である透水性を少なくする工夫が重ねられ、器面を箆(へら)で緻密に磨き、
更に炭素を吸着させ黒色土器を生産する様に成ります。
?) 施釉陶器(瓷器、しき)の出現も大きく関係しています。
10〜11世紀に土器に緑釉や灰釉を掛けた陶器が現れます。
畿内では三彩と緑釉が掛かった器(奈良三彩)が作られ、「青瓷、青子(アヲシ)」と呼ばれます
愛知県瀬戸の猿投窯では良質の灰白色の粘土が大量に見つかり、木灰を調合した灰釉
(かいゆ)陶器が出現します。 この陶器を「白瓷 (シラシ)」と呼びます。
7) 年代測定方法に付いて。
?) 発掘された焼き物は、その形や文様などの様式から、作られた年代が推定できます。
?) どの様な場所から発掘されたかによっも推定できます。
即ち、大和飛鳥寺跡の下層から出土された須恵器は、寺が造営された年(588年)より前に
作られた事が判ります。特に、古墳や宮殿跡、寺院跡などは他の状況証拠から判断できます。
?) 熱残留磁気による年代測定。(科学的測定方法)
土に含まれる鉄等の磁性鉱物は、焼けるとその時の地磁気と同じ方向に磁化します。
(熱残留磁化と言う)。その残留磁化の測定を行い、焼成時の地磁気の方向(偏角および伏角)
を調べ、既知の地磁気永年変化曲線と照合して焼成年代を推定する方法です。
誤差は最小で10年程度の場合が有りますが、永年変化曲線の不備もありまだまだ誤差が多い
様です。今後の研究で、一段と高精度の年代測定が可能になると思われます。
次回より、「奈良三彩・緑釉」に付いてお話します。